大ヒット映画『君の名は。』に影響を与えたもうひとつの“男女入れ替わり”作品。押見修造『ぼくは麻理のなか』

アニメ・マンガ

2017/2/4

『ぼくは麻理のなか』(押見修造/双葉社)
『新海誠監督作品 君の名は。 公式ビジュアルガイド』(KADOKAWA/角川書店)

 ついに興行収入232億円に達した新海誠監督のアニメーション映画『君の名は。』(1月17日現在)。日本アカデミー賞では4部門を受賞し、北米での公開も決まった同作は高校生の男女の意識が夢を通じて入れ替わる物語。新海監督は企画段階からさまざまな本や映画を参考にしたというが、そのうちのひとつが、昨年9月に最終巻が刊行されたマンガ『ぼくは麻理のなか』(押見修造/双葉社)だ。

 新海監督は、『君の名は。』を描くにあたり、「ジェンダーの差異の話にはしない」と決めたきっかけのひとつとしてこう語っている。「『ぼくは麻理のなか』(押見修造)は女子高生になってしまった冴えない大学生が彼女を取り巻く環境をのぞき見る話になっていて、その面白さのほうが共感性があるなと思った」(『君の名は。 公式ビジュアルブック』より)。

『ぼくは麻理のなか』の主人公は2人いる。一人は、期待に胸を膨らませて上京したものの、友達0のまま大学に行けなくなって3年目を迎えた小森功。日々の楽しみはゲームとオナニー。それから、21時にコンビニに現れる美しい女子高生を尾行することだけ。この女子高生こそもう一人の主人公・麻理である。本作は、ある朝めざめた小森の意識が、麻理の肉体に宿ってしまうところから転がりはじめる。

『君の名は。』での入れ替わりは一過性のものだが、本作で小森は、現実の麻理に成り代わり存在し続ける。そのかわり小森の肉体には麻理が宿っている――と考えるのが普通だろうが、そうではないのが面白いところ。自宅に戻った小森が目撃したのは、いつもどおり自堕落な生活を送る自分。つまり2人の小森が同時に存在しており、麻理の意識はどこにもない。本作は、彼女はいったいどこへ行ってしまったのか、という謎を追いかけるミステリー仕立てにもなっている。

 新海監督の述べたとおり、本作の面白さは単純なジェンダーの差異にはない。女子高生となった小森は、微妙なバランスの上に成り立つ女友達との関係をあっという間に崩し、教室で孤立してしまうが、そもそも小森はコミュ障の引きこもりだ。仮に彼の意識が男子高生の意識に宿っていたとしても、結果は同じだっただろう。麻理に欲情して自慰する“自分(小森)”の姿に嫌悪する一方、みずから麻理の肉体を使って自慰をする“ぼく(麻理)”。嫌悪と共感、不安と安心が入り混じっていくうちに、“ぼく”のなかで小森と麻理の境界がどんどん失われていく。そうしてやがて、一点の曇りもないように見えた麻理の人生のなかにも、小森となんら変わりのない、孤独と自意識による苛みがあったことに気づくのだ。そしてそれは、読者にとっても他人事ではない闇なのである。

 男女入れ替わり小説の元祖『とりかえばや物語』では、男勝りの姉が若君として宮廷で出世をめざし、かよわい弟が姫君として後宮で見初められる。生まれ持った性の苦しみにとらわれながらも、己の道を切り開こうとする2人の姿は、古来多くの共感を呼び、ゆえにモチーフとして繰り返し用いられ続けてきた。だが、似た苦しみを抱えながらも、最終的に小森と麻理が異なる結論をくだしたように、どの作品もテーマを同じくしながらアプローチの仕方はまるで違う。

 本作が『君の名は。』にどんな影響を与えたのか気になる方や、“入れ替わりもの”に興味を抱いた方にぜひ、『ぼくは麻理のなか』を手にとってみてほしい。

文=立花もも