愛の溢れる“ホッピー本”を片手に浅草の「ホッピー通り」を味わってきた!

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公開日:2017/2/17

 ホッピーとは、不思議な飲み物である。近ごろはどの居酒屋でもよく目にするようになったが、あくまでも“ビール風味”なだけで中身はお酒ではない。一般的には「金宮」あたりの比較的安価な焼酎を割るためのものであり、それ自体は「清涼飲料水」にあてはまる。

 昭和の空気感を漂わせる飲み物でもあるが、その文化的背景を丁寧にまとめた一冊『ホッピー文化論』(ホッピー文化研究会/ハーベスト社)によれば、歴史は1948年にまでさかのぼるという。

◎登場から69年。戦後の酒好きを唸らせ続ける「本物志向」の味わい

 現在は、その名を冠した「ホッピービバレッジ社」の主力商品として知られる。しかし元々は、その前身であるラムネ会社の「秀水舎」により開発されたノンアルコール・ビールだった。

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 初めてホッピーが登場したのは、終戦から約3年後の1948年7月15日。秀水舎の社長である石渡秀は、戦前から研究を重ねてきたノンアルコール・ビールの販売を開始。それまでに様々あった“劣悪”な品質のノンアルコール・ビールとは違い「本物のホップを使ったビア」ということから、当初は「ホッビー」と命名。しかし、音感のよさを求めて「ホッピー」に改称された。

 ただ、ここで一つ疑問が浮かんでくる。当初はノンアルコール・ビールとして販売されたホッピーがなぜ、焼酎の「割りもの」として定着したのかということだ。その背景の一つとして、本書で語られているのが戦後にあった「バクダン」という飲酒文化である。

 バクダンとは、燃料用メチルアルコールなどを薄めた飲み物のことだ。物資の乏しかった戦後の日本では、ぜいたく品の一つであるお酒はたいへん貴重な飲み物であった。そのため、安価に手に入るものを使い、当時の人びとは酔いどれるために様々な知恵を振り絞っていた。

 しかし、粗悪なお酒は当然ながら身体にも支障をきたす。バクダンを飲み過ぎ、中には失明、死亡した者もいるというが、一方では、高級なビールを安い焼酎で割りつつ大切に飲み続ける習慣も存在していたものの、庶民の中で「過激な酒文化」が浸透していたさなかにホッピーが登場したのである。

 その後、代用酒や闇酒に代わり、限りなく「ほんもの」に近い品質を持ったホッピーは大衆に広まっていった。本書によれば、現在は「第3次ホッピーブーム」だというが、登場から69年を迎える今では、手軽に飲める“ビール風味”のお酒として老若男女に愛されるまでになった。

◎“読む”だけじゃ物足りない! “飲む”ために浅草ホッピー通りへ

 ホッピーの似合う町といえば、やはり東京の下町界隈である。本書でも浅草の「ホッピー通り」が取り上げられているのだが、その空気感を味わうために実際に足を運んでみた。

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 ホッピー通りは、東武線や東京メトロ・銀座線の浅草駅から徒歩10分ほどの場所にある。新仲見世通りをまっすぐに進み、アーケードの「19番」を右に曲がって進むとたどりつける。角にあるアウトレット店「ワケあり本舗」が目印だ。

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 別名「煮込み通り」とも呼ばれるホッピー通りには、昭和の香りをかすかに残す飲み屋がたくさん立ち並ぶ。土曜の昼過ぎにもかかわらず、この日はすでにどのお店もほぼ満席の状態。外国人観光客が自撮り棒を片手に記念撮影をしていたり、道ばたではお店の人たちが威勢よく呼び込みをしたりしていた。

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 ふらっと入った飲み屋で、さっそく定番のホッピーセットと牛すじの煮込みを注文。一人っきりで入るのは少しためらったものの、ちょっとした勇気を出すだけで“江戸の粋”にもふれられる。おっちゃんやおばちゃんが威勢よく仕切る店内で、その味をしばらく噛みしめることにした。

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 ホッピーには独特の呼び方がある。割りものである本体は「ソト」、その中身となる焼酎は「ナカ」と呼ばれる。一杯飲み干すたびに「ナカひとつ!」とか「ソトちょうだい!」と店員さんにお願いするのもまた粋であり、このやり取りもまた、ホッピーならではの楽しみともいえる。

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 帰りぎわ、なぜ「ホッピーは愛されるのか」と考えてみた。飲み屋で声をかけたおっちゃんグループは「浅草へ来るたびにここへ来るんだよ」なんて話していたが、ホッピーを選ぶ理由について「ビールより安く飲めるし、濃さを自分で調整できるからかなぁ」と答えてくれた。

 また、僕の隣に座っていた大学生カップルの彼氏は「初めて飲むんです」と答えつつ、ホッピーを味わっていた。「黒ホッピーと白ホッピーを混ぜるとグレーになるのかな」なんて、彼女と語り合う光景が微笑ましくて、ちょっぴりうらやましくもなった。

 そんな光景を見ながら気づいたのは、ホッピーの周りには「ホッピーがあるからこその笑顔がある」という答えだった。飲んだことがない人とも「ホッピーって何?」というところから、一つの会話が生まれる。いわば、そこからコミュニケーションが広がっているのが垣間見えた。

 ホッピー好きな人たちが書いた“ホッピー本”を片手に、浅草を歩いてみてよかった。帰り道、ほろ酔いの身体はコートを羽織らずとも温かいほどで、ホッピーがある町だからこその“人の温かみ”にもふれられた気がした。

取材・文・写真=カネコシュウヘイ