「サービス」ではなく何なのか? 10軒の名店の人々が教えてくれた“昭和の店に惹かれる理由”

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公開日:2017/4/15

『昭和の店に惹かれる理由』(井川直子/ミシマ社)

 ちょっと前にあったはずの店が、あっという間に別の店に変わっていたなんてよくあること。おいしいだけ、サービスがいいだけでは生き残れない、同じ場所で長く商売を続けることのむずかしさをとりわけ感じさせる飲食業界において、昭和の時代からずっと愛され、客足の絶えない名店にある「何か」を探ったのが『昭和の店に惹かれる理由』(井川直子/ミシマ社)だ。

 「食」や「飲」に関わる人々や、店づくりなどを取材している中、かつての日本にあった「高い精度を真面目に求める心」が、もはや幻想になりつつあると感じていた著者は、四角いところを四角く拭くような「きちんと」のメンタリティを感じることのできる、昭和の店の仕事を知る「旅」に出る。その「旅」の中で、とくに強く心を動かされたのが、本書に登場する10軒だったという。

 例えば、湯島にある居酒屋「シンスケ」でスポットを当てているのは、その「距離」。いろんな事情といろんな思いの人が、一枚板のカウンターを共有してお酒を飲む。そこには「肩幅の世界」があるといい、店の人間の役割はその肩幅を守ることというのが「シンスケ」の言葉。

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 「肩幅の世界」とはつまり、客同士、店の人間がお互いに尊重し合う絶妙な距離感のこと。「シンスケ」では、店の造りや器まで含めた空間、料理、お酒のすべてに同じトーンが貫かれているが、きちんとはしていても、正し過ぎず、見守ってはいても、構い過ぎないという居心地の良さが追求されているという。

 また、神保町にある鮨屋「鶴八」の章では、「窓口」がキーワード。カウンターのある老舗の鮨屋というと、入る人間が制限されているような、しかも、メニューはなくおまかせのみで、食べ方を見られているような何とも ハードルが高いイメージが拭えない。

 しかし、「神保町 鶴八」の親方の考えでは、食べ手の食べたいものを、食べたい数だけ食べてご馳走さまできるのが、お鮨のいいところ。だから、「鶴八」には「おまかせ」ではなく、「お好み」しかないという。二代目である親方だが、何代目とかではなく、先輩たちが作ってきた歴史の中で、自分が今現在の「窓口」だと捉えているのだそう。お鮨には通も流儀も粋も要らない、「好き」があるだけでいいとは、なんとも 親近感がわく。文中からは、そのきちんとした仕事ぶり、鮨づくりへのこだわりや生きざまが伝わってきて、好感を持たずにはいられない。

 他の8軒を含め、本書に書かれている10軒すべてに共通しているのは、店や作られているものはもちろんのこと、登場するすべての人たちが何とも 魅力的なことで、「きちんと」の思想を感じる仕事ぶりと、その姿勢から生まれる数々の名言に、どの店も自分で訪れて確かめたくなる。

 あの時代はよかったと懐かしむ世代だけでなく、その時代を知らない若い世代にも、その魅力を見出し、昭和の店に通う人々がいるという。本質とは何かを教えてくれる名店たちの想いが、この先もどうか受け継がれてほしいと願わずにいられなくなる1冊だ。

文=三井結木