読書離れが進む中、1990年代のベストセラー上位を占めたジャンル/なぜ働いていると本が読めなくなるのか⑧

文芸・カルチャー

公開日:2024/4/28

なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆/集英社)第8回【全8回】

「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」…そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないでしょうか。「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者の三宅香帆さんが、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿ります。そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作品です。

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なぜ働いていると本が読めなくなるのか
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆/集英社)

読書離れと自己啓発書

 本書は「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」というタイトルを冠している。

 普通に考えれば、長時間労働によって本を読む「時間」を奪われたのだという結論に至る。だが第一章では、それにしては日本人はずっと長時間労働を課されてきており、現代にはじまったことではない、と指摘した。

 序章で引用した映画『花束みたいな恋をした』の麦は、長時間労働に追われるなかで、「パズドラ」はできても「読書」はできない。「パズドラ」をする時間はある。でも「読書」はできない。ここにある溝とは何なのかを知りたくて、私は近現代日本の読書と労働の歴史を追いかけてきた。

 戦後、本が売れていた。とくに戦後の好景気からバブル経済に至るまで、人口増加にともない本は売れていたし、読まれていた。しかし1990年代後半以降、とくに2000年代に至ってからの書籍購入額は明らかに落ちている。

 しかし一方で、自己啓発書の市場は伸びている。

 出版科学研究所の年間ベストセラーランキング(単行本)を見ると、明らかに自己啓発書が平成の間に急増していることが分かる。1989年(平成元年)には1冊もなかったのに対し、90年代前半はベスト30入りした自己啓発書が1~4冊、1995年に5冊がランクイン、1996年には『脳内革命』と『「超」勉強法』(野口悠紀雄、講談社、1995年)がランキングの1、2位を独占するに至るのだ。この後の2000年代もこの勢いは続いた。90年代はまさに自己啓発書のはじまりの時代だった。

 なぜ読書離れが起こるなかで、自己啓発書は読まれたのだろうか。というか、読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例のグラフを描くわけだが、なぜそのような状態になるのだろうか。

 そういえば『花束みたいな恋をした』の麦も、自己啓発書は、読めていたのだ。

ノイズのない「パズドラ」、ノイズだらけの読書

 麦が「パズドラ」ならできるのは、コントローラブルな娯楽だからだ。スマホゲームという名の、既知の体験の踏襲は、むしろ頭をクリアにすらするかもしれない。知らないノイズが入ってこないからだ。

 対して読書は、何が向こうからやってくるのか分からない、知らないものを取り入れる、アンコントローラブルなエンターテインメントである。そのノイズ性こそが、麦が読書を手放した原因ではなかっただろうか。

 逆に言えば、1990年代以前の〈政治の時代〉あるいは〈内面の時代〉においては、読書はむしろ「知らなかったことを知ることができる」ツールであった。そこにあるのは、コントロールの欲望ではなく、社会参加あるいは自己探索の欲望であった。社会のことを知ることで、社会を変えることができる。自分のことを知ることで、自分を変えることができる。

 しかし90年代以降の〈経済の時代〉あるいは〈行動の時代〉においては、社会のことを知っても、自分には関係がない。それよりも自分自身でコントロールできるものに注力したほうがいい。そこにあるのは、市場適合あるいは自己管理の欲望なのだ。

 そしてこれこそが、2000年代以降の思想ではないだろうか。

 2000年代、「経済の時代」の到来とともに、インターネット、つまり「情報」という存在がやってくる。それはまさに、私たちに社会や世界が「そういうふうにできている」ことを教えてくれる光──のように、あのころは、見えたのだった。

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