北の遊郭でトップを目指す女郎と、タコ部屋で虐げられる青年の交わり。女流作家が描き出す北海道の歴史ドラマ

文芸・カルチャー

2017/4/23

『凛』(蛭田亜紗子/講談社)

文明の歴史とは裏を返せば搾取の歴史でもある。いつの時代も社会は階級を生み出し、虐げられた人々の犠牲の上に発展してきた。それは現代まで変わらない理のようなものである。

だからこそ、運命に抗って生きようとする人々の姿は美しい。『凛』(蛭田亜紗子/講談社)は大正時代から現代の北海道をつなぐ大河ロマンである。一般社会からかけ離れた場所で、人生を変えようともがき続ける登場人物の痛みは、何気なく毎日を過ごしている読者を奮い立たせてくれることだろう。

大学生の沙矢は彼氏との北海道旅行を計画するが、当日になってキャンセルされてしまう。仕方なく一人で網走へと向かい始めた彼女は金華駅で「常紋トンネル殉難者追悼碑」を目にする。それから、今までは気にも留めてこなかった歴史の裏側に興味を持つようになり、卒論のテーマとして深く調べるようになる。

そして、物語は過去へと遡る。大正時代、借金返済のために北の遊郭へと売られた八重子。女工として働いてきた八重子は盗みの罪をなすりつけられても受け入れてしまうほどの意志が弱い女だった。生きる希望と言えば、別の家に引き取られていった幼い息子、太郎だけである。しかし、遊郭で男たちに陵辱され、太郎の死を告げられた八重子は運命と闘う決意をする。「お職」、つまり遊郭で一番人気の女郎になることを誓うのだ。

時を同じくして、上野から北海道へとやって来た男子学生、麟太郎がいた。文学をこよなく愛する真面目な麟太郎はしかし、甘い文句に騙されてトンネル建設の現場へと連れ込まれてしまう。そこは、「タコ部屋」と呼ばれる過酷な労働所だった。わずかな給料と食事だけで一日中重労働を強いられる環境は、東京の学生の想像を超えていた。ついにはタコ部屋での夜、同僚によって犯される屈辱を味わう。人死にまでが出る毎日は、麟太郎の人間性までをも変えていく。

かたや女郎、かたや強制労働者、環境は違えども二人に共通しているのは男性社会に搾取された存在だということだろう。わずかな人間が得をするシステムのために、大勢の人間が心も体も蝕まれるシステムは決して過去の遺物ではない。作中では現代における原発作業員や外国人の技能実習生の労働環境が引き合いに出される。また、ブラック企業に洗脳されて精神を病んだ若手社員も本作に登場する。残酷な世界の根本は、100年経っても大きくは変わらないままなのだ。

そんな中、偶然にも知り合うことになった八重子と麟太郎は心の交流を深めていく。互いに愛する異性なら別にいる。二人が求めているのは男女の関係ではなく、失われつつある自分たちの純粋さを確認する行為のようだ。やがて、八重子と麟太郎はそれぞれの場所で地位を高めていき、組織の内側から状況を変革するべく働きかけるようになっていく。

二人の姿と対比されるのは、絶世の美少女である女郎、薄雲だ。あどけなさを残したまま女郎として生きる薄雲は、男たちを憎まず、むしろ自分の体が癒しとなることを幸福とさえ感じるようになる。彼女は作中、もっとも現実感が希薄なキャラクターであり、それゆえもっとも在り方が儚い。薄雲の純粋さを前にすると、男たちの情欲すらもどこか悲しく見えてくる。

そう、本作で繰り返される男たちの暴力は、彼らだけの責任ではない。むしろ、見方を変えれば彼らも搾取の歯車の中で、自分たちよりも下の人間に捌け口を求めなければ生きていけない存在なのだ。八重子もまた、本当に悪いのは誰なのか、気づいていく。

この社会をつくったひとたち、そして疑問を持たないすべてのひとです。

八重子や麟太郎の生き方がどのように世界を変えていくのか、沙矢のように本書からしっかりと読み解いてほしい。そして、それは無意識に人間や職業を見下したり、他人の痛みに無頓着になったりしてしまった現代人の価値観をも揺さぶるだろう。

文=石塚就一