「しゃぼん玉」は娘の死を歌っているってウソ? 「赤い靴」の女の子は実在した? 『唱歌・童謡120の真実』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/12

『唱歌・童謡120の真実』(竹内貴久雄/ヤマハミュージックメディア)

音楽の教科書やテレビ番組で親しんできた唱歌・童謡は世界に誇れる日本の音楽文化である。世代を問わず、耳にするだけで美しい情景が思い浮かび、満たされた気持ちになるのではないだろうか。

しかし、唱歌・童謡の成り立ちについて知っている人はそれほど多くない。『唱歌・童謡120の真実』(竹内貴久雄/ヤマハミュージックメディア)を読むと、誰もが知っている楽曲の意外な裏話を知ることができる。驚くべきことに、中には当然のように語り継がれている伝承が間違いだったケースも含まれていたのだ。

本書で取り上げられているのは120曲の有名な唱歌・童謡だ。そもそも唱歌とは、明治政府の命を受けた伊沢修二の主導で、日本独自の音楽教育のために生み出された楽曲群が原型となっている。そのため、唱歌が日本的な情景をテーマにしているものばかりなのは必然だった。そして、時間の経過とともに唱歌にはいくつものエピソードが付随され、真偽が分からないまま、とりあえず感動的なので語り継がれてきた例も見られるようになる。

advertisement

その代表が「しゃぼん玉」である。多くの日本人が信じているエピソードが、「しゃぼん玉」の歌詞は、作詞者・野口雨情がわずか生後七日で長女が死んでしまった悲しみを表現したというものだ。確かに、すぐに消えてしまうしゃぼん玉を見て、「風 風 吹くな」と歌いかける詞世界は、エピソードを裏付けているようにも読める。ところが、本書によれば野口の長女が死んだのは「しゃぼん玉」発表の14年も前だという。また、野口の次女も幼くして死んでいるが、それは「しゃぼん玉」発表後の出来事である。もちろん、遠い日の悲しみを思って詞を書いた可能性も残るが、やや説得力を欠く。最近になって「しゃぼん玉」の初出が仏教系の雑誌だったということが判明した。このことから現在では、仏教関係者が「しゃぼん玉」に仏教的な死生観を重ねて広めていったという説が浮上している。

同様に、楽曲制作にまつわるエピソードが有名なのは「赤い靴」である。悲しげなメロディーに乗せて「赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった」と歌われるこの曲には、1970年代になってモデルがいたと発覚した。結果、ゆかりのある自治体が少女像を次々に設置して町おこしに利用したり、「モデルはでっちあげだ」と主張する本が出版されたりして大騒動に発展する。著者はおそらくモデルの存在は本当だろうと推測するが、その後の騒動は名曲の価値を損なわせる「余計な事」と呆れている。

いまではポピュラーな楽曲も発表当時は受難していることもある。「たきび」はラジオ番組のために制作されたが、なんと放送日が太平洋戦争の開戦に重なって中止に。しかも戦時中は「貴重な燃料源で焚き火をするな」とのことから軍部によって放送禁止になってしまう。戦後もGHQが「暴動を誘発させる」内容として放送に難色を示していたという。

「おもちゃのチャチャチャ」は元々の歌詞が問題になった。「オモチャとオモチャのチャチャチャ」というフレーズが夜の社交場を連想させるとして猛抗議を受け、現在の内容に改変された。ちなみに、原曲の作詞は小説家の野坂昭如である。

「七つの子」は「七羽」と「七歳」、どちらの意味なのか、「赤とんぼ」の「赤」のイントネーションは間違っているのではないかなど、誰もが感じていただろう疑問への答えも収録されている。また、ベートーヴェン作曲「第九交響曲」に終戦を祝福する日本語詞を乗せた「よろこびの歌」など、歌詞を通して制作当時の日本の状況も窺い知ることができる。

受難や抗議にさらされながらもこれらの楽曲が歌い継がれているのは、単純に完成度が高く誰もが口ずさめるからではないだろうか。現代ではインターネットによってインパクトの強い不確定なエピソードが流布してしまう傾向が強まっている。本書は唱歌・童謡という日本の文化を正しい形で残していくために必要な知識を教えてくれるのだ。

文=石塚就一