40年にわたり朴槿恵前大統領の心を支配した崔親子とは?『朴槿恵 心を操られた大統領』著者インタビュー【前編】

社会

公開日:2017/5/9

『朴槿恵 心を操られた大統領』(金香清/文藝春秋)

 5月9日、韓国の次期大統領を決める選挙が行われ、即日開票される。次期大統領に一番近いと目される文在寅氏は地元の釜山などで熱狂的な歓迎を受けたが、対抗馬の安哲秀氏の追い上げもあり、開票終了まで目が離せない展開になっている。

 その賑やかさとは一転、朴槿恵前大統領は起訴されソウル中央地検の取り調べを受けている最中だ。「選挙の女王」と呼ばれたかつての大統領は現在、一連の「崔順実ゲート事件」(民間人による国政介入事件)による収賄などの罪で収監されている。朴槿恵と、彼女の背後にいたと言われる崔順実はどんな人物で、どんな関係だったのだろう?

朴槿恵 心を操られた大統領』(文藝春秋)著者の金香清さんによると、韓国では2人は「友人」ではなく「秘線」と報じられていたそうだ。それもなんと40年以上、父親の朴正煕元大統領が生きていた頃から「秘密の線」は存在していて、朴正煕暗殺の原因の一つにもなったという。

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「私も今回調べて初めて知りましたが、とても驚きました。1974年に母親の陸英修(ユク・ヨンス)が亡くなり朴槿恵はファーストレディ代行になるのですが、その頃、崔順実の父の崔太敏(チェ・テミン)が朴槿恵に、『お母さまが私の夢に現れた』と書いた手紙を出したそうです。しかし崔太敏は1973年頃には既に、朴槿恵の周辺にいました。彼女が朴正煕の政治的資産を受け継ぐと考え、そのために計画的に近づいたでしょう。彼は朴槿恵を広告塔に宗教団体を創立しますが、横領や詐欺など3億2000万ウォン(約3200万円)もの不正を働きます。朴正煕の腹心だったKCIA(大韓民国中央情報部)部長の金載圭(キム・ジェギュ)は不正を知り朴正煕に伝えましたが、彼は取り合いませんでした。その失望感も朴正煕暗殺の動機になったと、金載圭が裁判で提出した控訴理由補充書に書かれていたそうです」

韓国ではまだ、朴正煕が生きている?

 執筆や韓国語翻訳をつとめる金香清さんは昨年11月頃、ニュース番組の翻訳をしている友人に「朴槿恵と崔順実の関係について調べているけれど、わからないことがいくつもある」と相談され、リサーチの仕事を請け負うことになり、この事件が日本でも大きな関心が持たれていることを実感したそうだ。

「2014年のセウォル号事件の際、産経新聞が『朴槿恵大統領が事件当時、元秘書の鄭潤会(チョン・ユンフェ)と密会していた』と書いたことで、ソウル中央検察は名誉棄損で当時の産経新聞ソウル支局長を在宅起訴しました(のちに無罪判決)。この頃、韓国内では『鄭潤会の妻(当時)で朴槿恵の後見人の娘』の崔順実の名もあがっていたので、『なぜ後見人の娘の夫と密会するのだろう? 違う事情があるのでは?』と不思議に思っていました。しかし崔順実はメディアで取り上げられることがほとんどなかった(朴槿恵が李明博と党内で大統領候補を争っていた2007年に、崔太敏の名前が出た程度)ので、あまり強く意識していませんでした。それは韓国社会も同様で、昨年の一連の報道で朴槿恵と崔順実の関係がメディアに報道され、あまりに嘘のような現実の話に人々は驚愕したのです」

 同書には崔親子が、いかにして朴槿恵を篭絡したかが詳しく書かれている。そして崔親子が洗脳術を駆使して朴槿恵を支配したというより、自分から進んで崔親子に心を開いたこと、彼らをいぶかしむ家族や周囲の人を排除していったこと、ハンナラ党が崔一家の影を感じつつも選挙に強い朴槿恵を利用していたことが、よくわかる内容になっている。

「朴槿恵が大統領になれたのは、彼女が選挙にとても強かったというのがあります。それはひとえに“朴正煕の娘”だからで、当時のハンナラ党は彼女の知名度を利用しました。朴正煕は行き過ぎた言論弾圧や思想弾圧をしましたが、『朴正煕大統領のリーダーシップのもと、経済成長をもたらした時代』を懐かしむ高齢者は今でも多くいます。彼らは朴正煕を否定されると、自分の人生における苦労を否定されてしまう気持ちになるのでしょう。さらに朴槿恵を『両親が暗殺されたのに、健気に立ち上がった偉い女性』とも思っています。高齢者層の朴正煕神話が、朴槿恵政権を誕生させたと言えるかもしれません」

 朴正煕は独裁者として知られる一方で、日本からの賠償金を重工業に投資し、韓国の経済基盤を築いてきたという側面も確かにある。しかし経済がある程度成長したら、国家には人々の内面の充足をはかることに、寄与する責任があるのではないか。

 韓国が文民政権になったのは93年のことで、この25年間で進歩政党が政権を執ったのは、わずか10年に過ぎない。その間に新たな価値観を提示し、人々を導けなかったことへのバックラッシュも、朴槿恵を大統領の座に据えた理由なのだろう。しかし朴槿恵政権下の約4年間(2013~16年)はセウォル号事件やMERS(中東呼吸器症候群)騒動、THAAD配備による中国との対立など、明るい話題が少なかった。彼女には本当に、大統領の資質があったのだろうか? 

続きは後編にて。

取材・文=碓氷 連太郎

著者の金香清(キム・ヒャンチョン)さん