「どうかわたしに、死にたくないと思わせないで」――20歳で発病、余命10年の女性を命をかけて書ききった恋愛小説とは?

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/12


『余命10年』(小坂流加/文芸社)

『余命10年』(小坂流加/文芸社)は、20歳の時に不治の病となり、「余命10年」という現実を突きつけられた茉莉(まつり)という女性が主人公の恋愛小説だ。学業も、就職も、恋愛も、すべて諦めて、10年後の「その日」を待つ。

退院当初は塞ぎ込んでいた茉莉だが、友人に誘われてコスプレや同人活動に参加したのをきっかけに、「人生楽しんだ者勝ちだもの!」と、「やりたいこと」や「楽しいこと」に果敢に挑戦していく。

しかし、決して「手を出してはいけないこと」もあった。それは「恋愛」。余命10年の自分は、恋愛だけはしてはいけないと誓っていたのに、茉莉の前には愛する人が現れてしまう。

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小学校の同窓会で出会った真部和人(まなべ・かずと)。温和で優しい和人に、茉莉は「いけない」と思いながらも惹かれてしまう。茉莉は自分の余命が短いことや、病気のせいで働けないことを隠し、「普通のOL」と偽って和人と恋人同士になる。

だが、病魔は茉莉を見逃してくれない。いよいよ体調が芳しくなくなり、茉莉は和人に「真実」を告げ、別れることを決意する。そして遂に、「最期の日」はやってくる……。

と、あらすじだけ書くと、「こういう恋愛小説、よくあるよね」と感じるかもしれない。しかしこれは、ただの「小説」ではない。茉莉にはモデルが存在する。それが著者なのだ。

そのため、本書はフィクションでありながら、事実とリンクしている部分も大いにあるのではないかと思う。

余命10年だと分かった時、若さゆえに「人生なんてあと10年で十分だよ」と口にしたことや、ドラマやバラエティ番組が観ていられなくなって「アニメだけは大丈夫」だったこと。「普通」の生活を送る同級生たちへの、どうしようもない嫉妬心。病状が進行し、「家族のために生きてあげたいけれど、それを貫く力がない」「誰かの笑顔より苦痛の方が上回ってしまったから」といったキレイゴトではない、本心。この小説に書かれた「ストーリー」は事実ではないかもしれないが、語られた「心情」は紛れもなく「現実」なのだ。

そう思うと、私は本作を読んで、その事実の重さに、泣くこともできなかった。これが完全なる創作なら、号泣して(ある意味スッキリして)、読み終えることができたが、そうではないから、ただ涙して済ますことができなかった。

もっと深いところで心を揺らしたからか、言葉にするのは難しいのだけれど、何というか、一人の女性の生き様を見たような気がして、「かわいそう」と泣いて終わらせることがどうしてもできなかったのだ。

本作は10年前に刊行された単行本が加筆・修正されて文庫化したものだ。各章の最後に茉莉のモノローグが記されている。そこには苦悩や喜び、決意や迷い、愛する人ができて、生の悦びと共に、死の恐怖を感じたことなどの、「余命10年間」の心情変化がストレートに表現されている。

「死ぬ準備はできた。だからあとは精一杯、生きてみるよ」――和人に別れを告げた後のモノローグ。この言葉は私の中で忘れられないフレーズになった。つらいとき、苦しいとき、何度でも思い出して、生きる力になるような、そんな言葉だと思う。

本作の編集が終わった直後、著者の小坂流加さんの病状は悪化し、今年の2月に亡くなられたそうだ。文字通り「命をかけて」書かれたこの物語を読んで、あなたは何を感じるだろう。生きていることが素晴らしいと思うかもしれない。愛する人や家族を大切にしたいと思うかもしれない。涙が止まらなくなるかもしれない――色々な読み方があって、いいと思う。

文=雨野裾