新社会人とのジェネレーションギャップに驚いた方へ、その衝撃を和らげる一冊

ライフスタイル

2017/6/29

『あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった』(川崎徹/河出書房新社)

 プロフィールを見て「平成生まれか…」と言っていたのも束の間、平成10年生まれがまもなく成人しようとしています。同い年、1歳差、10歳差。一体何が違うのでしょうか。10歳という年齢差は決して少ないとはいえないかもしれませんが、考えようによっては同い年、一つ違い、二つ違いと差が積み重なって一回りの違いが出ているだけだと思うこともできます。

 性格や趣味は年が同じでも人それぞれです。しかし、見ていたテレビ番組や、カラオケで歌う曲などにはじわじわと年齢や世代の違いが表れてきます。例えば、1991年のテレビドラマ『東京ラブストーリー』をリアルタイムで見るという経験をした50・40代の人々と共有できる思い出は、20代前半・10代の若者にはありません。両者がもしそのことについて話すとしたら「『東京ラブストーリー』を見ていた時、君はまだこの世に存在していなかったのか!」と年長者は言い、年少者は「はい」という以外仕方ありません。

 そんな時間の不在を愛おしく描いた作品が『あなたが子供だった頃、わたしはもう大人だった』(川崎徹/河出書房新社)です。CM界から転身した著者は、主人公の平山と、ひとまわり上のユキコさんの会話を軸に、夫婦の間でたしかに共有された思い出を紡いでいきます。

 まるでこの家族とは関係ない霊が盆に帰ってきてたまたま平山の記憶をみつめているかのような、不思議な視点で回想は展開されていきます。震災や福島という言葉もちらつき、日本という国に属している匿名の魂が物語を語っているような場面もあります。神の視点というにはやさしく、思い出というには客観的な、中空を舞う視点が読者をひきつけてくれます。

 印象的なのは、「人はささいなことに意味を見出す生き物だ」ということが、セリフによって巧みに表現されている点です。ユキコさんが親戚の享年を語る中にこんな一言があります。

「八十になればなったでもうひと区切り上の八十五までってなるんでしょうかね、切りのよさなんてたいした意味もないのに。」

 縁起の悪そうな受付番号、肝心な時に出なくなったボールペン、動物に見える雲の形、虫の知らせ…文化や習慣によって見出しかたは異なり、日頃どのような時間を重ねているかが、そうした直感につながっています。飛んでいる蝶々を生まれ変わりだと思いこんだり、風を神さまからのメッセージだと思ったり、時にそうした不確かな感覚が人生に美しさを生みます。

 最後に、そうしたこの小説の美しさが象徴されている一節をご紹介します。ある写真を見返そうとユキコさんがアルバムを探している時、平山は敢えて写真を見ず、曖昧な記憶を明確にせずそのまま残しておこうという提案をする場面です。

「写真部の箱の奥にひとまわり小さな茶箱があるでしょ、そっちに入っているんじゃないかしら」
「見なくてもいいんだ、あることが分かれば」
「そうだわね」

 離れていても、そこにいなくても存在を感じるという幸せ。父の臨終のひと時をじっくりとみつめるような視線で描いた「彼女は長い間猫に話しかけた」も収録されている本作は、時の隙間を豊かに埋める術を私たちに教えてくれます。

文=神保慶政