プロレスラー・飯伏幸太の肉体美の秘密。『イノサン』のマンガ家・坂本眞一も絶賛!【前編】

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公開日:2017/7/6

インタビュー 飯伏幸太

リング上でやることの全てが表現です

 坂本氏から寄せられた、飯伏選手の肉体への、そして受け身への賛辞を読んだ飯伏幸太選手。ひとしきり「本当ですか? ありがたいです……」と恐縮した後、『イノサン』に描かれた肉体を見て、「ああ!」と頷いた。

「何となく、自分が試合でやられているところ、技を食らった後の表現に似ているなと。体の動きもそうですし、腹斜筋っていう筋肉の形も自分に似ているなと思いますね」

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 受け身をとることに対して、飯伏選手は“表現”という言葉を使った。

「リング上でやることの全てが、表現だと思っています。もちろん、本当に技を食らって自然に倒れてはいるんですが、それも含めて表現ですね」

 プロレスごっこにあけくれていた少年時代から、自分が受け身を取る時にギャラリーが沸くことを感じていた。

「小5でプロレスラーになると決めてから、ずっと受け身を追求してきました。高校に入るまで6年ぐらい、何回も高いところから落ちたり投げられたりしているうちに、体が勝手に、一番痛くない受け身を取るようになっていた。その究極が、この絵(『イノサン』のコマ)のような形なのかもしれないですね」

 すでに完成された受け身を身に着けていたゆえに、初めて所属したプロレス団体DDTプロレスリングで教わったプロの受け身に、強い違和感を覚えたという。

「技によって、体のどこから落ちればいいのかが違うんです。でも教えられた受け身は1つしかなくて……。それが僕にはすごく痛くて、きつかった。痛くなくてケガをしないのが一番いい受け身だと思うので、社長(高木三四郎)に『自分の受け身でやらせてほしい』と言いました」

 上下関係の厳しい世界で、入ったばかりの新人がこんなことを言うのは当然ご法度だ。

「『え……?』と。それはそうなりますよね(笑)。コイツ何を言い出すんだと。でも最後は『じゃあ、お前はそれでいいや』と言ってくれました」

 全員参加の合同練習も、「同じ練習をやっていたら、みんなと同じプロレスになってしまう」と拒否。この時も「『じゃあ、お前はそれでいいや』と(笑)。社長の心が広くてよかったです。自分の話をよく聞いてくれました」。

 こうして飯伏選手独自のプロレスが形成されていく。

「プロレス専用」の体になっているかもしれない

 新日本プロレスの動画サイトに、飯伏選手が一人でトレーニングをする様子がアップされている。それを観ると、飯伏選手のトレーニングは、「見せる体を作るためのものでも、ただ強靭な体を作るためでもないことがよくわかる。バーベルを持ち上げるトレーニングも、「人を持ち上げる時に使う筋肉」を鍛えるためにやるのみだ。

「見せる体のためのトレーニングはしないです。プロレスで使うためのトレーニングをやっていたら、自然とこういう体になっていたというか……。今は、“プロレス専用”の体になっているかもしれません。プロレスに特化しすぎて、他のスポーツができなくなってしまって。100m走なら20mくらいで疲れます(笑)。走る体と、プロレスをする体は全然違う」

 プロレスもリング上を走ったりするが……。

「リングは6mしかないですし、そもそもリングの端から端まで走ることもそんなにない。だいたい真ん中で戦っているので、そこからロープまで走って3mくらいなんです。走るよりも、むしろロープにはね返される時の筋肉が必要ですね。ロープに対して抵抗するというか、押し返すような上半身の筋肉が必要。普通の人が自分たちと同じスピードでロープまで走って跳ね返ったら、たぶん背骨が折れると思います」

 練習メニューは、その日の「感覚」で決める。

「今日は何が足りないとか、何をやった方がいいとか、道場に着いたときに何となくわかるので。動画ではバランスボールを使った練習をしてますけど、たぶんあの日はあれが足りなかったんでしょうね(笑)。あの1回だけでもう足りたので、同じ練習をしたことはないです」

 一度やれば、わかってしまう。それも飯伏選手の凄さだろう。

飛ぶのは怖いです。でも、飛べます。

 坂本氏が言及しているように、リング外を舞台にした無鉄砲で無防備な飛び技が飯伏幸太の真骨頂。試合会場の2階席はもちろん、時には路上で、自動販売機の上、電柱など、あらゆる高所から、飛ぶ(「跳ぶ」ではなく「飛ぶ」がふさわしい)。坂本氏からも、こんな質問が出る。【試合中の痛みや負傷に対する恐怖心はありますか?】。

「あります。何回もケガをしているので。でも、飛べます。絶対にお客さんが喜んでくれるのがわかるので

 怖くないのではない。怖くても、観ている者のために、飯伏選手は飛ぶのだ。坂本氏は続けて、その恐怖を【どのように克服していますか?】と問う。

「ケガをした時は、すぐに同じ動きをもう1回やるんですよ」

 取材陣の動きが一瞬止まる。同じ動きをもう1回……? ケガをしている体で?

「はい。ケガをした状態で、ケガをしたのと同じように動いて、もう一度痛い思いをする。骨折ぐらいだったら、実際やりました。直後は痛さで悶絶して、動けない。でも1分ぐらいすると動けるようになるので、もう1回同じ場所に登って、また飛ぶ。怖くなっちゃう前に、すぐやります。そうすると『あの時、あの痛みでもう1回出来たんだから、大丈夫だ』と恐怖心がなくなるんです。試合中はさすがにすぐ同じことは出来ないので、練習で、もう一度やります」

 常人には到底真似のできない(思いつかない)克服方法。一体なぜ、その方法に行きついたのだろう。

「小学生の時、高いところから川に飛び込んだことがあって。そうしたら岩に当たって、激痛で動けなくなった。まだプロレスラーになってもいないのに、こんなことで動けなくなるなんて絶対にダメだ!と思って、すぐにもう一度飛んだ。その時『これで恐怖は克服できる!』と自信を得て、それ以降ずっと、レスラーになってからも続けてきました」

 丁寧な言葉で、当たりまえのことのように、飯伏選手は笑みを浮かべながら話し続けている。飯伏幸太というレスラーの魅力を表す時によく使われる“狂気”という言葉の意味が、わかってくる。

動きたい気持ちが抑えられなくて
体重を増やせなかった

 小学5年生の時からずっと、変わらずにプロレスラーになる夢を持ち続けてきた飯伏選手だが、実は実現するまでに結構な回り道をしている。

 高校卒業後は一般企業に就職。仕事の傍らキックボクシングの団体に所属した。チャンピオンにまでなり、21歳でようやくDDTの門を叩いたのだ。

「でも、それがすごくよかったです。デビューした頃は、無駄な10年(小5から数えて)を過ごしたなと思いましたが、入門から3年ぐらい経った時、無駄はなかったんだなあと思えるようになりました。キックボクシングをやっていたおかげで格闘技系のプロレス団体にも出られた。プロレスの幅がすごく広がりました。もっと言うと、あの時、川に飛び込んでケガしてよかった、とも思うんですよ。全部のことが今の自分のスタイルにつながっている」

 飯伏選手は、DDTに所属しながら、2013年には新日本プロレスにも所属、業界初の「2団体所属レスラー」となった。新日本では、ジュニアヘビー級と呼ばれる100キロ以下の階級で活躍した(チャンピオンの座にも就いた)後、体重を増やしてヘビー級に転向。それに伴って、肉体も変化させてきた。

「大きくはしたんですけど……それでもまだジュニアヘビー級の体重でしたね。最高で86キロくらいです」

 DDT入門当初の飯伏選手の体重は、わずか68キロ。身長が181cmであることを考えると、かなり細身だったのだ。

「それまでウエイトトレーニングをしたことがなかった。キックボクシングは、基本的に減量のスポーツなんですよね。重くなると、階級が上がってしまうので、体重を増やせない」

 プロレスの世界に入り、ウエイトトレーニングの方法を教わるが、なかなか体重を増やせずに苦労したという。その理由がまた、おもしろい。

「もちろんたくさん食べたりもするんですけど、それを上回る量の運動をしてしまうんですよ。動きたい気持ちを抑えられない(笑)。しかも代謝がすごくよくて……」

 体重が増えるようになったのは、ケガをしてからだという。

「運動をしない理由ができました(笑)。1日の摂取カロリーより、やっと消費カロリーが少なくなったんだと思います」

 だが空中戦を得意とする飯伏選手にとっては、68キロの時が「一番動きやすかった」のだという。

「戦う相手との体重差が15キロぐらいまでならスピードで何とかなります。でも相手が120キロだったら差が50キロになって、さすがに倒すのは難しくなる。プロレスラーには体重が必要だと、今は感じています」

いぶし・こうた●1982年鹿児島県生まれ。2004年DDT入門4カ月後にプロレスラーデビュー。13年からは新日本プロレスにも所属し、16年まで業界初の2団体所属選手として活躍。現在は「飯伏プロレス研究所」を立ち上げ、WWE NXTなど海外の試合にも参戦。今夏の『G1 CLIMAX 27』にも参戦が決定した。

<前編おわり>

取材・文=門倉紫麻 写真=干川 修

飯伏幸太の“狂気”があふれる自伝。気心の知れた聞き手(プロレス誌『KAMINOGE』編集長)を前に、学校生活のこと、過去の恋愛について、家族について、ファンについて……驚きの事実(と驚きの考え方)が赤裸々に(正直すぎる言葉で)語られていく。

“アスリート”としての歩みをまとめた自伝。プロレスに目覚めた少年時代から、プロレスラーのみを志すも、なぜかラグビー部入部、就職、キックボクシングジム入り……と迂回してしまう青春時代、デビュー後の活躍まで、たっぷりと語られる。

【後編】では、中邑真輔選手との「あの試合」を語る!(7月7日15時半公開予定)