シリア難民、AKB、LGBT、暴力団…一見バラバラな「断片」を繋ぎ合わせて見える「ニッポン社会」とは?

ライフスタイル

2017/9/13

『人間の居場所』(集英社)

 「居場所づくり」という言葉をメディアからではなく直接人から聞いたのは約2年半前だ。その方は小学生の子を持つ母親であり同時に会社員でもあったが、2ヶ月後には長年勤めた会社を辞めて、商店街などに子どもの居場所づくりをする活動を始める予定なのだと言った。対象は不登校だとか特に事情があるような子どもではなく、ごく一般の子ども。私は日常的に小学生に接する機会がないので、小学生の居場所を意図的に作らなければならないような事態というのが理解できず驚いたのだが、小学生に限らずどうも最近、社会の中の居場所が変化しているようだ、それも悪い方向へ。

 『人間の居場所』(集英社)の著者・田原牧氏はノンフィクション作家であり、本書は様々な人々を取材した内容となっている。そこにはシリア難民、AKB、LGBT、暴力団、刑務所などが並び、それらは一貫性がないように見える。だが、様々な社会的に少数であろう人たちの現状を連ねてみると、見事に今の社会の様相が表れる。

 いつのまにか大きな流れとなり社会を覆っているもの、それは「単純化」だ。ライフスタイルや価値観の多様化が進んでいるように見えて、嫌なことや不都合なことはシャットアウトしてしまう。反論や議論を許さない風潮、そして思考停止が加速している。いわゆる社会の「分断」が起こっている、と著者はいう。

 LGBTについて書かれた第4章から抜粋する。昨今のLGBTブームは渋谷区の「同性パートナーシップ条例」に端を発する。条例ではないが、いくつかの自治体でも類似の制度を始めている。この突然登場したかに見える自治体のパートナーシップ制度、この制度の火付け役について、何人かの当事者たちに尋ねたところ「広告代理店」という答えが返ってきたという。そこには、渋谷区の条例を提案した区議が元博報堂であったり、2012年に大手経済誌二誌がLGBT特集を組み「LGBTは巨大マーケット」「LGBTは人材の宝庫」とぶち上げたり、「人口の7.6%がLGBT」というLGBT当事者から見れば誇大と思われるキャンペーンを電通がしていたりという背景がある。

 つまり、今のブームの仕掛け人は当事者ではない。だからなのか、一連の動きにはLGBTではない人たちの目線にいかに合わせるかという気遣いがそこかしこに感じられる、と著者は述べている。

 例えば、渋谷区のパートナーシップ証明書の取得第一号は美形の女性カップルで、メディアに写真や画像付きで報じられたが、実際には50代のオヤジカップルだって多数いる。こちらはまったく取り上げられないのだ。このように現実の裏面は、いいイメージに覆い隠されている。

 LGBTの闘いとはそもそも「差別」に対してだった。東京都の施設が同性愛者団体の利用を拒否した事件や、同性愛者が暴行を受けても(同性愛者とばれるのを怖れて)警察に届けられず抵抗できないことを踏まえて襲われた事件など、社会の同性愛者差別に対する抗議であった。しかし、その闘いは支援する非当事者たちによって「多数派の理解を得よう」という運動に変質した。それはやがて当事者たちのアイデンティティをも蝕んでいく。著者はこの章の終わりでこう書いている。

はっきり言っておきたい。理解と共生は別物だ。(中略)理解するのではなく、分からないことを大切にする。性は闇。それでいい。そのうえで違いを対等に認め合う。それが共生の前提である。昨今の『LGBT』ブームには、その原点がない。なにより当事者自身がその原点を理解せず、自分たちの居場所を自ら掘り崩そうとしている。

 本書には、著者の社会に対する違和感が、取材対象を通して描かれている。主体が変われば見える世界も変わる。そして社会とは、大きなひとつのかたまりなのではなく、小さな人間と人間の集まりだ。

豊かさとは複雑系の中にしか存在しない。(中略)例えば、一昔前まで『粋』という価値があった。粋は単純さの対極にある。だから美しい。人の価値を能力のみで測るような尺度は無粋の極みである。

 社会の単純化は人間の生きにくさにつながっている。本書は、豊かな社会とは何かを考える一助になるのではないだろうか。

文=高橋輝実