働く人すべてに薦めたい 牛乳配達員の発見、悲哀、日常を抒情的に描いた『牛乳配達DIARY』

マンガ

公開日:2022/11/19

牛乳配達DIARY
牛乳配達DIARY』(INA/リイド社)

 どのような職業でも、現場で働いているからこそ見える景色や味わう苦労がある。

 当たり前のことなのに日々自分の見える景色の中だけで生きる私たちは見逃しがちだ。仕事の帰り道、疲れているときにコンビニが混んでいて店員にいら立ったり、駅前のティッシュ配りを無視したりしたことがある人も多いだろう。

 過ぎ去る日常の中でつい忘れてしまう。働く人それぞれが自分にまかされた仕事を懸命に頑張っていることに。

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牛乳配達DIARY』(INA/リイド社)は、牛乳配達員の仕事をしていた作者が当時のことを漫画にした作品で、リイド社が運営する第1回トーチ漫画賞大賞を受賞している。「トーチ」とは『オルタナティヴな表現』と『自分たちの老後への道筋』を探し、光をあてる(発信する)ことを目的に始まったプロジェクトであり(公式サイトより)、トーチ漫画賞は山田参助などリアルタイムで活躍している漫画家たちが選考委員である。

『牛乳配達DIARY』の作者・INAの作風は抒情的であり、牛乳配達をしているからこそ見つけられた花の名前やその香り、周辺にある自動車の初心者マークのつける位置の違いなど、興味深い側面を描く一方で、飛び込みの営業職でもある牛乳配達員の悲哀をことこまかに描写している。

 たとえば牛乳配達員である作者にはお客さんから牛乳宅配の契約をとるというノルマがある。達成できず、上司から1件だけでも今日は契約をとってきてほしいと言われた日、やっとの思いで契約してくれた人にサービスでおまけをたくさん渡そうとして、興奮のあまり落として瓶が割れ、家の前で大量のヨーグルトををこぼしてしまう。

 それをやさしく許してくれるお客さんに感謝しながらも、彼(作者)は自己嫌悪に陥る。

 漫画では、契約者の前でうずくまる作者の姿が一瞬のうちに消えることで、彼の閉塞感を表現する。

 また牛乳を配ろうとした家の人に冷たくされた日、通りかかった子どもに「何してるのー?」と繰り返し質問される場面では、主人公は自分自身を振り返り思う。

おれは一体なにをしてるんだろう

 しかし本書は牛乳配達員という仕事を否定的にとらえている漫画ではない。

 たとえば作者の同僚だったS本さんは、方向感覚をつかむのが苦手な性格だが、その苦手を超えるポジティブさがある。配達しようとした家の人に怒鳴られた日も明るく「あーゆーのは気にしなきゃ良いんすよ!」「多分明日はもっといけますよ」と作者に言う。

 後にS本さんが牛乳配達員としての営業力を発揮し絶好調であることが明かされ、ほかの配達員のその後の明暗も同時に示される。どんな仕事も向き不向きがあり、多種多様な性格の人が仕事をしているという当たり前の事実を、作者は影の部分と光の部分がはっきりとわかる作画であぶりだす。

 本書の抒情性はどこから来るのかと考えていると、最後のページにある作者のプロフィールに若いころ『無能の人・日の戯れ』(つげ義春/新潮社)に衝撃を受けたことが明かされていた。つげ義春と言えば、今年、ちばてつやと同時に漫画家として初めて日本芸術院会員に選出されたことで話題になった、半世紀近くも前に前衛的とも言える抒情的な作風で読者や後進の作家に衝撃を与えた漫画家であり、本書はつげの影響も色濃く表れている。

 この仕事をしているからこそ発見するもの、味わう悲哀、自問自答する出来事……これは牛乳配達員の仕事に限ったことではない。

 本書は牛乳配達員の日常を描くと同時に、働く人すべてにとって普遍性のあるエッセイ漫画なのだ。

文=若林理央

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