芥川龍之介、太宰治ものめり込んだ「怪奇」の世界。文豪たちの“怪奇マニア”ぶりとは?

文芸・カルチャー

公開日:2022/12/21

文豪と怪奇
文豪と怪奇』(東雅夫/KADOKAWA)

 幽霊や心霊現象など、怪奇の世界は時代を超えて人びとの興味をそそる。そして、数々の作品を世に放ってきた文豪たちもまた、怪奇の世界にのめり込んでいたとは驚く。

 アンソロジスト/文芸評論家の著者による書籍『文豪と怪奇』(東雅夫/KADOKAWA)は、文豪たちと怪奇のつながりをひもとく一冊だ。泉鏡花、芥川龍之介、夏目漱石、小泉八雲、小川未明、岡本綺堂、佐藤春夫、林芙美子、太宰治、澁澤龍彦――。「自らを取り巻く世界の不思議さと真っ向から向き合い、かれらが垣間見たこの世の秘密を、真相を、文筆という行為を通じて作品化」してきた文豪たちも、私たちと同じように、怪奇の世界に引き込まれていた。

柳田國男、泉鏡花と「おばけずきの盟友」だった芥川龍之介

 人間の利己主義を描く『羅生門』や『蜘蛛の糸』などを手がけた芥川も、大の「おばけずき」だった。活動中期の『妖婆』や『奇怪な再会』『妙な話』『黒衣聖母』など、彼は「本格怪奇小説を志向した」時期もあり、数々の作品では「一貫して妖しい超自然の影が揺曳(ようえい、「ゆらゆらとなびく」の意味)していた」と著者は評する。

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 かねてより怪奇への探究心も強く、芥川は「身近な家人や友人に怪談をせがみ、足繁く図書館に通っては怪談本をあちこちで探し歩く日々も送っていた。その足跡は『椒図(しょうず)志異』と名付けた1冊のノートブックとして、今なお残されているという。

 学生時代の彼を知る民俗学の父・柳田國男は、自身の回想録『故郷七十年』で、岩手県遠野市で伝承される怖い話などを収録した『遠野物語』の「購読者の中には、まだ学生時代の芥川龍之介がいた」と振り返っている。

「有名な(芥川の)『河童』という小説は、私の本を読んでから河童のことが書いてみたくなったので、他に種本はないということを彼(芥川)自身いっていた」とも述べているが、芥川と共に、冒頭で名前を挙げた泉の2人を柳田がのちに「河童のお弟子」と呼んだのも一興。3人はまさしく「おばけずきの盟友」だった。

「一千の怪談を覚えて居る」と豪語した太宰治

 38年間という短い生涯の中で『走れメロス』や『人間失格』など、傑作を多くものした太宰治。生前、彼は「異様なまでに〈怪談〉とか〈おばけ〉という言葉に取り憑かれた書き手」だったという。

 十代半ば、出身校である青森県立青森中学校の文学仲間と発行した同人誌『蜃気楼』に収録の短編「怪談」の冒頭で「私は小さい時から怪談が好きであった」と、彼は独白している。きっかけは祖母で、「コタツに入りながら、又或る時は祖母のヒザにだっこされながら夢を見て居るようにウットリして祖母の怪談を聞いて居たあの時分の私がうらやましい」と思い出を振り返る太宰は、のちに、人から聞いた話や書籍をたよりに「一千の怪談を覚えて居るといっても敢えて過言ではなかろう」と豪語するほどだった。

 彼が怪奇に魅了された原体験は他にもある。津軽に住んでいた幼少期、子守役の使用人・近村タケに、菩提寺である曹洞宗の古刹・金木山雲祥寺に連れて行かれたことがあった。

 実際、現代で足を運んだ著者は、雲祥寺には「二千を超える地蔵尊」があり、「本堂のみならず広大な敷地のそこ此処(ここ)に祀(まつ)られる境内の一角には、死者の遺品と一緒に、男女一対の人形を収めたケースが数えきれぬくらい安置されている」場所だと報告する。

 太宰がタケと共に訪れた当時、雲祥寺には「たくさんの卒塔婆」が置かれていた。卒塔婆に付いた「黒い鉄の輪」を「からから廻して、やがて、そのまま止まってじっと動かないならその廻した人は極楽へ行き、一旦とまりそうになってから、又からんと逆に廻れば地獄へ落ちる」とタケに言われたが、彼が試すと「後戻りすることがたまたま」あった。のちに、1人で訪れて「何十回となく執拗に廻しつづけ」ても、鉄の輪が後戻りする光景を見た太宰は「絶望してその墓地から立ち去った」という。

 本書では、内容の一部を紹介した「文豪たちと怪奇との関わりを追求」する「本文パート」に加えて、彼ら自身の名著からの言葉を用いた「アンソロジーパート」、文豪たちの「評伝」も収録している。怪奇の世界は、怖くもあり神秘的でもある。その世界に魅了された文豪たちを、より身近に感じられるのも本書のみどころだ。

文=カネコシュウヘイ

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