ひとりの男が「悪党のボス」か「パン屋」になるかの人生の分岐点とは? もう一人の自分が生きる並行世界を描いた『ボス/ベイカー』がおもしろい!

文芸・カルチャー

公開日:2023/1/19

ボス/ベイカー
ボス/ベイカー』(上田未来/双葉社)

 もしもあのとき別の道を選んでいたら、と夢想した経験が、誰もが一度はあるだろう。自発的な選択でなくとも、あのとき受験に落ちなかったら、電車が止まらなかったら、なんてぐあいに、予期せぬアクシデントに運命を左右されてしまうことは往々にしてある。でももし、あのとき自分が選ばなかった道を歩んでいる、もう一人の自分が生きる並行世界があったとしたら? 『ボス/ベイカー』(上田未来/双葉社)は、そんな「もしも」を描く物語である。

 元自衛隊員の錠二は、理不尽に家族を奪われたのをきっかけに、悪党だけを狙って大金をせしめる泥棒となる。どんな鍵も開けてしまう能力で奪った金の取り分は半分。残りの半分は常にどこかへ寄付することで、罪悪感を薄めていた。そんな彼の前に現れたのが、同じように悪党だけを狙う同業者の太陽だ。用意周到、完璧主義の彼と組んだことで、仕事はますます順調に運ぶようになり、信頼できる仲間を得たことで孤独だった錠二の生活は少しずつ満たされていくのだが、現状をよしとしない太陽は仲間を増やし、仕事の規模も大きくしていく。だがそのことが、二人の間に決定的な亀裂をもたらしてしまう……。

 錠二の分岐は、横領を疑い自分を排斥しようとした太陽を銃で撃ったところから始まる。太陽を殺してしまった錠二は、死体を埋め、太陽になりかわってチームを統率しようとした。一方、銃が不発だったおかげで太陽との仲を修復した錠二は、他の仲間を捨て、太陽の昔からの夢だったパン屋を二人で開業し、人生をやり直すことを決める。ここから「ボス」と「ベイカー」、二人の錠二が生きる世界がそれぞれ交互に描かれていくのだ。

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 興味深いのは、錠二の分岐が家族を失ったところから始まるわけではない、ということだ。その痛みも、泥棒にならざるをえなかったことも、痛みの消えない傷痕として錠二の心に刻まれている。だが、すべてを失ったあとに出会った太陽という存在は、その痛みを凌駕するほど大きかった。名前どおりに錠二の人生を照らしてくれた太陽との出会いと、そこに至るまでの過程は、選択を迷うべきものではなかったのだ。

 真逆の道を選んだ二人の錠二は、あたりまえだが、まるで違う人生を歩みはじめる。それなのに、どんなに異なる選択を重ねても、錠二の前には必ず、かつての仲間と、出会ってはならない最悪の相手が現れ、やがて一つの大きな犯罪に巻き込まれていく。だが、考えてみればあたりまえなのだ。太陽を殺そうが殺すまいが、錠二が罪を犯していた事実は変わらない。たった一つの選択を変えたところで、自身で積み重ねてきたことがゼロリセットされるわけがないのだから。

 でも、それでも――太陽が存在するかしないか。それが、人生を根本から揺るがすくらい大きな違いだった。そんな錠二の切実さが、本作を読む大きな吸引力となる。

 少しずつ重なっていく二つの人生がどう集約するのか。「もしも」の先はぜひご自身で見届けてほしい。

文=立花もも

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