青木さやか テストで85点を取ると「どこを間違えたの?」と母に責められた。幼少期からこじれた親子関係を赤裸々に描いたエッセイ集『母』

文芸・カルチャー

公開日:2023/4/7

母
』(青木さやか/中央公論新社)

 タレント、女優、動物愛護活動家、文筆業と、マルチにわたり活躍中の青木さやか氏が、2021年5月にエッセイ集『』(中央公論新社)を上梓して話題となった。Webメディア「婦人公論.jp」にて連載された『47歳、おんな、今日のところは「●●」として』に、書き下ろしを加えた一冊である。本書は、実母との確執に加え、上京後に同棲した恋人とのエピソードや、ブレイクした芸人時代に抱えていた葛藤についても赤裸々に描かれている。

 著者の母は、85点の答案用紙を見せれば「どこを間違えたの?」と問い、念願だったピアノの課題曲を弾けることになっても、他の同級生に比べて進みが遅いことを指摘した。「できたこと」より「できなかった部分」に注視される日々にあって、著者は劣等感と息苦しさに苛まれる。

 これさえできれば、愛してくれるはず。ここまでできれば、きっと褒めてくれるはず。

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 そう期待しては裏切られる感覚を、身をもって知っている。私の母も、100点以外の答案用紙は認めない人だった。95点を取ろうものなら、「どうしてあと5点が取れないの」と執拗に詰められる。あの当時、私は毎日狭い箱の中に閉じ込められているみたいな気持ちだった。

 大人になり、仕事をするようになると、周囲と自分との差に愕然とした。周囲はミスを笑って受け流すのに対し、私はミスが異常に許せない人間であった。自分のミスとなると尚更で、挽回しようと躍起になっては空回りする日々が続いた。

“わたしが指示通り動いて結果を出せば、きっとわたしを愛してくれるよね。それは子どもの頃と、とても似ていた。”

 著者が芸人としてブレイクしていた時期、休みがなくオーバーワークな状態が日常化していた。心身の疲労がピークに達しても、「休みたい」とは言えず、友人に弱音を吐くのが精一杯。上記の一節は、そんな日々に秘めていた著者の胸の内である。

 周囲の期待を読みとり、自分の意志に蓋をする。それは、子ども時代、「親の指示通りに動くこと」に加え、「常に満点の結果」を求められ続けた結果、否応なしに身についた習性であろう。

 愛されるためには、何かを成さねばならない。そんな条件付きの愛は、見えない鎖で人を縛る。

 しかし、著者はそんな母との和解を決意する。これまでも、何度も歩み寄ろうとしたものの、実現しなかった実母との和解。最後に、もう一度。そう決意したのは、母がホスピスに入所したことと、仲間からの言葉がきっかけだった。

 母が入所する愛知県のホスピスまで、著者は何度も車で通う。母との関係をやり直す。その決意の軸には、しっかりと著者自身の意志があった。

“あくまでも、わたしは、わたしだけのために、ここにきている。”

“母のため”ではなく、“わたしのため”。その心持ちだったからこそ、著者はやり遂げることができたのだろう。念願だった母との和解は、のちに著者の心に大きな変化をもたらす。

 子ども時代、強い圧力を受けて縮んでしまった心を取り戻すのは、並大抵のことではない。また、子の側に限らず、親の側でも、親子関係に悩む人はたくさんいるだろう。本書は、そのような悩みを抱える人の背中を優しく撫でてくれる。

 また、2023年2月に、同氏が新著『母が嫌いだったわたしが母になった』(KADOKAWA)を刊行した。こちらの作品も、子育てに悩む人、親との関係に悩む人にとって、身につまされるエピソードがふんだんに詰まっている。

 親子関係の修復は、親子だからこそ難しい。近しい相手であるがゆえに、甘えが出る。わかってほしい、愛されたいと願ってしまう。無関心ではいられないからこそ、こじれてしまうものなのだ。その捩れを丁寧にほどいていく著者のエッセイは、家族との関係に悩める多くの人の心に、温かく寄り添ってくれるだろう。

文=碧月はる

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