亡くなった人の最期の思いとは? ギリギリの場所に立つ“主人公”と考える「うまく生きる」には 漫画『わたしの夢が覚めるまで』

マンガ

更新日:2023/5/19

わたしの夢が覚めるまで
わたしの夢が覚めるまで』(ながしまひろみ/KADOKAWA)

 なんとなく寝つきが悪く、寝ても騒がしい夢ばかり見て、全然疲れがとれていない。不眠症というほどつらいわけでもなく、明確な原因となる悩みがあるわけでもない。ただ、しんどい。そこはかとなくさみしくて、やるせない気持ちになる。そんなひとりの夜には、ながしまひろみさんのマンガ『わたしの夢が覚めるまで』(KADOKAWA)を読むことをおすすめしたい。

 38歳のそのは、近頃決まって夜中の3時に目が覚める。二度寝するまでのあいだ、浅い眠りのなかで見た夢をうとうと思い出すのが日課だ。弾いたことのないピアノのリサイタルで喝采を受けるとか、見覚えのある人たちと一緒に遠足のバスに乗っている風景とか、見るのはいかにも夢らしい、意味があるようでないものばかり。ときどき、38歳で亡くなった叔母のさきちゃんが出てきて語りかけてくることを除いては。

 幼い頃、東京でバリバリ働く姿に憧れていたさきちゃんは、いつしか、今の自分が住んでいる東京で今の自分と同じ年に亡くなった人、と印象を変えた。さきちゃんはあの頃、いったい何を考えていたのだろう。そのに、何か伝えたいことがあるんだろうか。今年で最後となる法要で、さきちゃんの姉である母や友人のよう子さんと話をしながら、そのは想いを馳せる。

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わたしの夢が覚めるまで P127

 さきちゃんが夢のなかでつぶやいた「わたしいつも自分のことばっかりで、そんな自分にほとほと疲れちゃって」という言葉。さきちゃんからの最後の電話を「その頃自分のことで頭がいっぱいで」すぐに切ってしまったと言うよう子さん。38歳だった当時の2人と、今のそのは何が違うのだろう。たぶん、何も違わない。ふとしたきっかけできっと、さきちゃんにもよう子さんにもなりうる、ギリギリの場所にそのは立っている。読んでいる私たちも、きっとまた。

わたしの夢が覚めるまで P134

「自由気ままに自分の人生生きて それだけじゃ満足できないのかね」とそのの母親は言う。自分のことだけに時間もお金も費やせるひとりの身は確かに自由だ。すべて自分の意思だけで決められる。だけど、どこまで行ってもすべて自分のためでしかない生活には、ときどき飽きる。大切にしたい友達も同僚もいるけれど、家族ではない彼女たちとは、つかのま寄り添うことはできても、同じ道を歩むことはできない。それも含めて自分で選んで決めたことでしょう、と人は言うかもしれない。そんなことはわかっている。だからみんな誰にも言えず、自分ばっかりの自分だけを抱えて、途方に暮れてしまうのだ。

 では、恋人をつくったり結婚したりすれば孤独は癒えるのかというと、そういうことではない。人は、私たちは、どこまでもひとりだ。それでも、夢の中でなら会いたい人と会うこともできる。永遠に一緒にはいられなくても、つかのま縁のあった相手とのひとときを大事にしようと、優しくすることもできる。隣り合わせの死を想いながら、ひとりでも羽ばたいていける明日を夢見て、今日を生きる。そんな一歩を踏み出すそのの眠れない日々は、誰とも共有できない孤独を抱えるすべての人たちにそっと寄り添ってくれるだろう。

文=立花もも

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