逮捕ギリギリを見極めながらアヘンを作り出す男。著者のアヘンケシ栽培の異常な執着から人間を考察する

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公開日:2023/6/26

意識をゆさぶる植物 アヘン・カフェイン・メスカリンの可能性
意識をゆさぶる植物 アヘン・カフェイン・メスカリンの可能性』(マイケル・ポーラン:著、宮﨑真紀:訳/亜紀書房)

 植物は初め、自衛手段として苦みを与え「もし食べれば毒に当たるぞ」と動物たちに警告を発していた。しかし、進化する過程で、天敵を殺さずに、脳に作用させて都合よく操った方が繁殖や生き残りに有利なのではないかと気づいた――。そうして我々人間の多くはカフェインや、ある場合にはアヘンに魅せられ、依存してしまうようになった。

『心と意識と:幻覚剤は役に立つのか』と題したNetflixのリミテッドシリーズを監修したマイケル・ポーランが、『意識をゆさぶる植物 アヘン・カフェイン・メスカリンの可能性』(マイケル・ポーラン:著、宮﨑真紀:訳/亜紀書房)という、3つの薬物を自ら体験することでその可能性について論じた、挑戦的な1冊が発売された。

 第1章では「アヘン」を合法的に摂取する奮闘と、ドラッグに関する法律の曖昧さが生み出す混乱が描かれ、第2章では我々人間がいかに「カフェイン」に依存しているかを根拠立てて説明し、第3章で「メスカリン」という幻覚剤が引き起こす意識を拡大する作用と、白人による先住民迫害との関係について語られている。

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 この本に大いなる興味が湧いたのは、何も僕がアヘンや幻覚剤に対する強い羨望があったわけではない。ただ、大学生の頃に読んだ村上龍氏の小説『共生虫』の一節にこのような文章があり、ずっと心に引っかかっていたのだ。

モルヒネが体に作用するということは、モルヒネに非常によく似た物質が体の中で生産されているということ(中略)物質に対する受容体がないと作用しない

※モルヒネは、ケシから採取されるアヘンに含まれる生薬成分で、エンドルフィンと同じような作用がある

 モルヒネに似た物質を受容する働きが今も人間に備わっているのだとすると、ある状況において人間がそれを必要としていることを示している。生存に不利な性質が自然淘汰されていくように、生存に有利な性質は今に引き継がれているはずだからである。証拠に、例えば脳内麻薬とも呼ばれる「エンドルフィン」はストレスを緩和するためにランナーズハイを引き起こし、また生存にカロリーが必要であることを人間に教えるために、疲労時・空腹時に甘いものを食べると放出される。そして人間は心地よさを覚える。

 つまり、生存に必要な要素を再び求めるように働きかけているのだ。心地よさを付随させ体に覚えさせることで、できるだけ個体を長く生きさせる戦略なのだろう。こうした脳内麻薬などの物質は、生物の生存のためにある機能だと考えられるが、心地よいものであるからこそ、追い求めすぎて依存してしまう可能性が高い。

 だとすると、我々人間が「依存」してしまうものは、心地よさを過度に求めすぎた結果なだけで、実は元を辿れば生物として長く生存するために必要だったものなのではないか。

人間が依存してしまう薬物を調べていた「著者が依存してしまっていたこと」

 本書では、著者が専門家や捜査官や弁護士に電話をし、逮捕されないギリギリのラインを確認しながらアヘンのもとになるアヘンケシを栽培した詳細が記載されている。中には、ケシの実をアヘン用に育てるためにアドバイスを求めてメールした相手が、翌日に麻薬関連の重罪で逮捕されて眠れなくなった話や、捜査官が家に上がり込んでくる前にすべてのアヘンケシを衝動的に抜く夢を見て飛び起きた話などがある。

 アヘンケシを栽培するリスクを確認しながら、同時並行で栽培を進める著者は、不安と安心の繰り返しによる何らかの脳内物質の分泌によってある種の快楽を得ていたのではないかと僕は睨んでいる。

 当然、生物は生存を脅かすリスクを回避することをよしとする。逮捕されて牢屋に入れられることは、生活環境の悪化、罰金や失職による経済的ダメージもあり、生存のリスクを下げてしまうため、避けるべきことである。その代わり、専門家などの講釈により、不安が解消されると途端に安心が訪れる。その結果、不安が深ければ深い分、安心したときに生存欲求が満たされ心地よさは増大するだろう。何度も何度も色々な人に電話をかけて(自分を捕まえる可能性のある捜査官にさえ電話をかけていた)確認する様は、僕の目には、安心の快楽を何度も得るための依存行動のように映った。

 その証拠に、中盤、著者は違法行為かもしれないとわかっていながらも「植物学的知識がなかったという言い訳ならできるかもしれない」「法の境界線を踏み越える行為」「毒を食らわば皿まで」と記し、芥子坊主(ケシの花が落ちた後の実。これに傷をつけ乳液を垂らすことでアヘン成分を得ることができる)に親指の爪で傷をつけて、垂れた液体を舐めてしまっている。リスクの許容度に関して、初期に比べて明らかに抑制が利かなくなっている。

 その最終的な着地点である「アヘンケシを栽培し、実際にアヘンを製造して摂取すること」が叶えばさらなる快楽が訪れるだろう。それは薬物の効果なのか、それとも逮捕のリスクを潜り抜けて目標を叶えたことによる達成感からくる脳内麻薬によるものなのか……。いずれにせよ、その期待感と、目標に近づいているという感覚に、著者はすっかり依存してしまっていたのではないだろうか。

 依存することが生存確率をあげるという角度から言えば、目標を達成することができれば、作家・ジャーナリストとしてひとつのステータスになるし、こうして本を出して利益を出すこともできる。つまり、依存して執着することで生存確率があがることを意味しているのだ。しかし反対も然り。著者が安心の心地よさを増大させるために、積極的にリスクを冒している点も見逃せない。まさに生死を懸けた、逮捕ギリギリのスリルあるアヘンケシ栽培の展開やその顛末を、是非自分の目で確認してもらいたい。

 我々は、カフェインやアヘンなど植物に含まれる物質に操られているだけでなく、それ以前に、脳内で分泌される物質に支配されているのだと深く考えさせられる1冊だった。著者が夢中になってアヘンケシ栽培を進めるのと同じように、彼の顛末を貪るように読んでしまっている時、本書の内容が今後の生存を有利にするとあなたの脳が判断し、快楽物質を大量に放出しているのかもしれない。カフェインたっぷりのコーヒーを片手に読んでいるならば、なおさら気をつけたほうがいい。

文=奥井雄義

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