生きるために人を襲い人を喰らう世界。6月に惜しくも亡くなった著者が描く、絶望と孤独が際立つ終末世界『ザ・ロード』

文芸・カルチャー

公開日:2023/8/1

ザ・ロード
ザ・ロード』(コーマック・マッカーシー:著、黒原敏行:訳/早川書房)

 コーマック・マッカーシーが6月13日に亡くなった。

 マッカーシーは、アメリカとメキシコの境界をテーマにしベストセラーとなった「国境三部作」(『すべての美しい馬』『越境』『平原の町』)や、2007年度の第80回アカデミー賞で作品賞、監督賞、助演男優賞、脚色賞を受賞した映画『ノーカントリー』の原作『ノー・カントリー・フォー・オールド・メン』(ハヤカワepi文庫。※扶桑社版では『血と暴力の国』)で知られる、アメリカ文学を代表する作家である。

 彼の作品は、壮絶な暴力が描かれながらも奇妙なほど乾いた作風であるのが特徴だ。なかでも、2006年に発表され、ピュリツァー賞を受賞した『ザ・ロード』は、コーマック・マッカーシー最大のベストセラーとなった。

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圧倒的な絶望感。『ザ・ロード』の終末世界

『ザ・ロード』は、なんらかの理由により破滅に向かう世界の中で、父親と息子の旅を描いた小説だ。木々は枯れ、アスファルトには灰が積もり、世界のすべてが色褪せた世界で父と息子はショッピングカートに野宿道具を積み南へと向かう。食料は乏しく、林の中で死んだ枝と灰をかき分けて乾燥した皺だらけのキノコをかじる。生き残った人々は生きるために人を襲い人を喰らう。そんな世界で人が人として生きることに意味があるのか、父が息子に託す希望の“火”とはなんなのか。

 終末世界を描いたシンプルな物語ながら、本作は世界が終わりゆく圧倒的な終末感と、全編に重くのしかかる絶望と孤独が強烈なインパクトを読者に与える。その源はコーマック・マッカーシー独特の文章にある。三人称の視点により心象描写から距離を置くことで小説世界に残酷なまでのリアリズムを生み出し、また読点が少なく、一般的に人物の会話に使われる鉤括弧も使用していないため、詩や散文のようなリズムが漂う独特の読書感覚である。はじめはクセがあるものの、気が付けばあっという間に作品世界に没入しているのだ。原書から日本語に訳されながらも、こうした独特の文体の感覚を得ることが出来るのは、一連のコーマック・マッカーシー作品の訳者である黒原敏行氏によるところが大きい。

 それまで現代を描いてきた(『ブラッド・メリディアン』は19世紀だが)コーマック・マッカーシー作品のなかでは、ポスト・アポカリプス(終末)と呼ばれるSFのサブジャンルとの横断を果たした作品という点でこの『ザ・ロード』は異彩を放っている。しかしながら、ジャンル小説のような読みやすさと深淵にある哲学的な文学性との心地よい融合は、彼の作品の入り口として間違いないだろう。迷いなく本作を勧めたい。

デビューから20年以上売れない作家だったコーマック・マッカーシー

 6月に惜しくも亡くなったコーマック・マッカーシーは、1965年に『果樹園の守り手』で作家のキャリアをスタートさせた。しかしデビュー以降に発表した5作品すべてが商業的に失敗に終わり、それらの売上は5000部にも満たなかったという。以後不遇の時代を過ごすが、デビューから27年後の1992年に発表された『すべての美しい馬』がベストセラーとなり、現在に続く作家としての高い評価と多くの読者を獲得した。

 現在ではウィリアム・フォークナーやトニ・モリソン、そしてサリンジャーやトマス・ピンチョンと並ぶ偉大な作家として称される。

 2022年に本国アメリカで発表された『The Passenger』と『Stella Maris』の二作品は残念ながらも遺作となったが、近日中に日本での刊行が予定されている。

コーマック・マッカーシー作品
※すべて訳者は黒原敏行氏
『チャイルド・オブ・ゴッド』早川書房
『ブラッド・メリディアン』ハヤカワepi文庫
『すべての美しい馬』ハヤカワepi文庫
『越境』ハヤカワepi文庫
『平原の町』ハヤカワepi文庫
『ザ・ロード』ハヤカワepi文庫
『ノー・カントリー・フォー・オールド・メン』ハヤカワepi文庫
『悪の法則』早川書房

文=すずきたけし

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