あなたの町は殺人鬼だらけかもしれない。第17回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した倉井眉介氏の最新作『怪物の町』

文芸・カルチャー

公開日:2023/8/13

怪物の町
怪物の町』(倉井眉介/宝島社文庫)

 今年12月に映画の公開を控えている同名小説『怪物の木こり』で第17回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した、倉井眉介氏の最新作『怪物の町』(宝島社文庫)は、日常と異常の狭間を描くことで読者に新たな視野を与えるユニークな物語である。

 主人公はあかね町に越してきた高校3年生の辻浦良太。塾からの帰りの夜、「怪物を見た」と姉が言っていたあかねの森公園に好奇心から足を踏み入れた。雑木林に囲まれた公園で歩を進めていた良太は、そこで人間の頭に棒のようなものを繰り返し振り下ろしている人影を目撃する。それは殺人だった。気が動転した良太だったが、すんでのところで暗視ゴーグルをつけた女性に助けられる。良太に自分を“先輩”と呼ぶように言ったその女性によると、このあかね町には、人を殺しておきながら何食わぬ顔で暮らしている殺人犯が、大勢いる――殺人事件が頻発する人殺しの町なのだという。

 我々が日々ニュースなどで知る殺人事件は、警察によって犯罪が認知されたものである。それらの事件が発覚したのは、その人殺しが「間抜け」だったから。逆をいえば、殺人を「うまく」やれている人殺しもいるのではないか。その犯行は、だれも知らず、だれも気付かず、そして、だれにも「見えていない」としたら。そして主人公の良太は、殺人という行為を「見て」しまったことで、この町、この世界の見え方が180度変わってしまう。学校のトイレのシミが血痕に見え、キャリーケースには殺された人が入っているかもしれないと考えてしまう。良太はこれまで気にもしていなかったあらゆるものを殺人と結びつけてしまい、苛まれてしまうのである。

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 人間には大きな変化や異常事態に対して心の平常を保とうとする心理が働く。たとえば災害時に「周囲の人々も慌ててないから大丈夫だろう」といった考えから避難が遅れたり、警報機が鳴っているにもかかわらず「だれかがイタズラで警報機のボタンを押したのだろう」として、やはり行動に移すことが遅れたりする。これらは正常性バイアスという。それは「殺人」についても同様だ。人が人を殺すという行為は、我々の日常にはありえないものだとの認識がある。それらの行為が行われていようとも、それを殺人と認識できず、自らの日常の風景として解釈してしまう。

『怪物の町』は、主人公良太の目を通して、平和だと思っていた町の日常と殺人が行われている裏の日常の隠れた境界線を見事に描き出し、現代において我々の心の一角を占めるようになった見ず知らずの他者への警戒心を増幅させるのである。

 我々が見ている日常と思っている風景は、それ自体が日常という思い込みから形作られているのではないか。なにかのきっかけでもし日常というフィルターがはがれた時、良太のように真の世界を覗き見ることになるのではないか。真の世界が目の前に現れた時、自分は見て見ぬふりをするか、それとも現実を受け入れるのか、そう問いかけるような物語である。

文=すずきたけし

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