歌舞伎町の野良猫と自殺を考えていた男の出会い。心身ともにボロボロの1人と1匹が家族になる様子を描くフォトエッセイ『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』

暮らし

公開日:2023/8/29

歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕
歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』(たにゃパパ/扶桑社)

 人は、そんなに強くない。自分を愛でながら生きていくのが難しい日もある。だが、そんな日でも、傍に寄り添ってくれる存在がいたなら、明日を迎えることが少し楽しみになるのかもしれない。

 フォトエッセイ『歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕』(たにゃパパ/扶桑社)には、そう思わせる人と猫の絆が描かれている。

 このストーリーの主人公は歌舞伎町出身の野良猫たにゃと、飼い主のたにゃパパさん。共に絶望を抱えながら生きていた1人と1匹はひょんなことから出会い、交流。すると、互いの目に映る景色は徐々に優しいものになっていくように思えた。

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■歌舞伎町で絶望を感じていた1匹の野良猫と男性が出会って…

 東洋一の繁華街である、歌舞伎町。人間の欲望を飲みこみ、キラキラと輝くこの街で、たにゃパパさんは会社を経営していた。

 だが、未曾有のウイルスが世界中を襲った2020年初頭、人生は一変。コロナ禍によって、仕事もお金も回らなくなり、心身はボロボロに。初めて「人生の終わり」を感じたという。

 もう死んでしまおうか…。そう考えていた時に出会ったのが、薄汚れた野良猫たにゃ。たにゃは、たにゃパパさんが借りていた駐車場に現れるようになった。

 ボロボロの姿に親近感を覚えた、たにゃパパさんは猫缶をあげ、交流を深めるように。本書には当時の状況や心境が写真と共に記されており、胸にグっとくる。

歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕

歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕

 ご飯、何が喜ぶかな…。そう考えながらディスカウントストアで猫用フードを選び、「明日も会えますように」という“おやすみなさい”を告げて、寝床へ帰る日々。たにゃのことを考えている時だけ、たにゃパパさんは身も心も楽になれた。そして、生きるためにご飯を食べるたにゃの姿が心に刺さった。

歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕

 そんな生活が1年ほど続いた頃、待ち合わせ場所となっていた駐車場にビルが建つことが決まってしまう。そこで、たにゃパパさんは捕獲器を借り、たにゃを保護することにした。

 初めての捕獲は、残念ながら失敗。それでも、たにゃパパさんは諦めず、保護団体の協力を得て、再度チャレンジ。すると、見事、捕獲に成功。目が覚めたら、たにゃがそばにいるという、なんとも幸せな生活がスタートした。

 家猫となったたにゃは顔つきが徐々に優しくなっていき、おもちゃで遊ぶ姿も見せてくれるように。

歌舞伎町の野良猫「たにゃ」と僕

 そして、そんな愛猫の姿に顔をほころばせるたにゃパパさんにも、変化が起きた。人や動物の弱さに目を向けながら、新しい人生を前向きに歩み始めたのだ。

 現在、たにゃパパさんは保護に協力してくれた保護団体の手伝いをし、猫助けに尽力している。また、フードデリバリーの仕事を経験した時に、配達されたフードをひとり寂しく受け取る子どもの姿に胸が痛んだことから、子ども食堂を開こうと考えてもいるそう。

“自分が強いときは、きっといろいろな弱さに気づかないんです。ボロボロになって生きる猫の姿にも気づかない。僕も、自分がこういう立場になってようやく気づきました。”(引用/P88)

 本書には、たにパパさんがインタビューを受けているページも掲載されている。たにゃパパさんのこの言葉に触れると、自分の生き方や明日の迎え方にも思いを馳せたくなることだろう。

 繰り返される日々の中で、大きな幸せが降ってくることは、そうそうない。大抵は生活をこなすだけの単調な毎日で、幸せを感じるよりも心を削られたり、消費したりする日のほうが、はるかに多いような気もする。

 だからこそ、今この瞬間に生きていることは、とても尊いことだ。私は十分、頑張った。これからはもう少し肩の力を抜いて、自分や周りにいる人・動物を大切にしていきたい…。そう思わせ、なかなか言語化できなかった本音と向き合わせてくれる力が本書にはあるように感じた。

 また、本書はキラキラしていないフォトエッセイであるからこそ、胸に刺さる。頭上にカラスが飛ぶ環境の中でご飯を食べ、約50cmしかないビルの隙間で必死に生きてきた、たにゃ。その野良生活を知ると、過酷な環境下で暮らす外猫たちの守り方を考えたくもなるはずだ。

 本書には表紙のカバーを外すと、もうひと泣きさせられる粋な仕掛けも。「生きてやる」と頑張ったたにゃと、「生きてほしい」と願い続けたたにゃパパの心の交流から、あなたも、きっと大事なものを学ぶはずだ。

文=古川諭香

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