焼きそばはなぜ「ソース味」なのか? お好み焼きとラーメンの出現などもヒントに、マニアが迫る焼きそば深掘り調査報告

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更新日:2023/9/28

ソース焼きそばの謎(ハヤカワ新書)
ソース焼きそばの謎(ハヤカワ新書)』(塩崎省吾/早川書房)

「ソース焼きそばを食べたことがない」という人は、おそらくほとんどいないはずだ。肉と野菜(天かすなどを入れる方もいらっしゃるだろう)を蒸した中華麺とともに炒め、具材と麺に火が通ったところでソースを加えると鉄板からジュワッと芳しい煙が上がり、皿に盛ったら仕上げに青のりや紅生姜を添えて出来上がりだ。少々焦げたソースの香ばしさと鼻に抜ける青のりの香り、シャキシャキした野菜の歯ごたえに肉の旨みが合わさり、口の周りをテラテラにしながら麺をすする。時折紅生姜で口内をリセットすると、ピリッとスパイシーな中に甘さがあるちょっと暴力的なソースの味わいが増し、皿はあっという間に空になってしまう(食後の青のりの歯への付着にはご注意を)。

 自宅で作ること(昼食が主だろう)に加え、お好み焼き店や露店、サービスエリアといった出先で、またフェスやお祭りなどの屋台で買い求めたり、バーベキューの締めメニューとして召し上がったりするのがお好きな方もいるだろう。そして焼きそばパンやカップ焼きそばの存在も忘れてはならない。しかしなぜ焼きそばは醤油でもなく塩でもなく“ソース味”が圧倒的多数なのだろう? その謎を解き明かすのが、焼きそばを食べ歩くことが何よりも好きだという著者(本職はITエンジニア)による『ソース焼きそばの謎(ハヤカワ新書)』(塩崎省吾/早川書房)だ。

 ソース味の焼きそばが生まれた通説(戦後に生まれて広まった、という説が有力だったそうだ)に異議を唱え、全国の焼きそばを食べ歩きする自身の体験から「戦前の東京・浅草発祥説」に焦点を絞り、調査を開始する。その説は本書のプロローグで、1936(昭和11)年にはすでに焼きそば屋台を開業するためのマニュアル本があったことによって一気に信憑性が高まる。

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 さらに著者は調査のフィールドを焼きそばからお好み焼き(現在のお好み焼きとは味や形状が違うが、ルーツとなった食べ物)へ広げ、多くの資料、文献に当たりながら、ひとつずつ「これまでの通説」の矛盾点を指摘し、徐々にソース焼きそばへと範囲を狭めていく。さらに焼きそばに欠かせない中華麺について時代を遡り、明治40年代の浅草にお好み焼きとラーメンが出現した理由を突き詰め、原材料となる小麦粉の存在に行き当たる。その問題をひとつひとつ解き明かしていくと、小麦粉は江戸時代に結ばれた諸外国との不平等条約につながり、列強諸国と並ぶため富国強兵政策を推し進めていた明治政府の悲願であった「関税自主権の回復」に関係してくるという壮大な話へと展開していくことになる。

 外国から入ってくる安い(関税がないので当然だ)小麦粉に、1905年に日露戦争で勝利した日本が関税をかけることができるようになったこと、それに加えそれまで「うどん粉」と呼ばれた粗悪な品質であった小麦粉も外国から輸入した製粉機によって品質がアップし、国内の市場が活性化していく。そのことがやがて浅草発祥説に関わっていくのだが、大きな鍵を握っているのが浅草駅が起点となっている東武鉄道だというが……。そこから先は「なぜソース味になったのか?」も含め、本書で確認してもらいたい。

 著者はさらに戦後に全国へソース焼きそばが広まった理由を考察し、焼きそばを供した全国の老舗店の調査とマッピングによって、味わいの違い(調理中にソースで味付けをせず、食べる前に自分でソースをかけるスタイルもあり、それは闇市にルーツがあるそうだ)や広まった年代まで深掘りしていく。普段何気なく食べていたソース焼きそばが、実は世界の動きと歴史の大きな波に連動して生まれ、日本中へ伝播していった食べ物であることに思いを馳せながら、鼻腔をくすぐるソースの香りをまとった出来たて熱々の美味しい焼きそばを頬張りたくなった。

文=成田全(ナリタタモツ)

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