江國香織も絶賛したフランス在住俳人のエッセイ集。妖艶な文章、優しく語りかけてくる知性、この世ではないような物語性を味わう

文芸・カルチャー

更新日:2023/11/22

いつかたこぶねになる日
いつかたこぶねになる日』(小津夜景/新潮社)

 小津夜景のエッセイ集『いつかたこぶねになる日』は、2020年11月に素粒社より刊行。たちまち版を重ね、2023年新潮社より文庫として刊行される。南仏・ニース在住の俳人である小津は、海や空を眺めながら古今東西の先人たちの詩を日々の暮らしに織り交ぜる。杜甫、白居易、夏目漱石、徐志摩……。漢詩のイメージを一新する、31編のエッセイ集である。

 小津の知性のひとかけらをページを通して我々読者が享受するとき、それが例えば「海」だったとして(たとえ地名を明記されていたとしても)、思い浮かべるのはニースの明るい海でも、小津の生まれ育った北海道の薄曇った海でもないように思われる。そこに映し出されるのは新たに生み出された「小津夜景の海」なのだ。引用しよう。

土地というものが面倒臭いのはこういうところである。つまり、その表象が怪しい物語と結びつきがちなのだ。でも海はそうじゃない。海は人に所有されていない、少なくとも土地のようには。わたしは地中海を愛しているけれど、それは北海を愛したり、オホーツク海を愛したりするのとまったく同じで、ちょうどいま目のまえにあるこの海を愛しているにすぎない。そこにはほかとの優劣がなく、また起源も誇らない。それが海であるというだけで愛するに足る――これが海のいいところだ。(「それが海であるというだけで」)

 小津の文章は妖艶である。優しく語りかけてくる知性、この世にいるのにこの世ではないような物語性。そばに寄りたいような、寄らずにただ眺めていたいようなスター性。それから文体が特別に美しいということ。漢字とひらがなのバランス、助詞の選び方……。小津夜景は俳人であるから、それらが「考え抜かれた」ものではなく、「自然と体から流れ出た」ような雰囲気を纏っている。俳句の話が出た。小津の第一句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂/2016年)から三句引用しよう。

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〈鳴る胸に触れたら雲雀なのでした〉
〈風鈴のひしめく空を食べあます〉
〈火を恋はばひらく薬香わがものに〉

 その妖艶さが俳句にもよく現れているのがわかるだろう。小津のエッセイの根底のひとつには俳句という文芸がある。575の海でひたすら泳いだ先に紡がれる文章には、無駄なものがひとつもない。『いつかたこぶねになる日』のあとがきにはこう書かれている。

この本を書くにあたって、青くひろびろとした海へとわたしを導いてくれた先学たちの業績に感謝します。わたしが素手と素足を櫂として、この身ひとつで未知の世界を航海していられたのは、過去の文字の一言一句をもゆるがせにせず日々研究を重ねてきた彼らの情熱のおかげでした。

 小津夜景に導かれるままに、その「未知の世界」を航海しようではないか。

文=高松霞

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