「2024年、もう2月?」と思った人へ――あえてため息をつき、むなしさを味わうことのすすめ

暮らし

公開日:2024/2/6

「むなしさ」の味わい方
「むなしさ」の味わい方』(きたやまおさむ/岩波書店)

 年末年始のにぎやかな時期が終わり、また日常へ。そのギャップに「ああ、もう終わってしまった」「また日常に戻るのか」と、むなしさを心のなかでつぶやいた人もいらっしゃるのではないでしょうか。

 ご紹介する『「むなしさ」の味わい方』(きたやまおさむ/岩波書店)は、そう思うことを、全面的に肯定してくれる一冊です。

 帯に「ため息をついても幸せは逃げない」という詩的な言葉が書いてある本書は、楽曲「帰って来たヨッパライ」などで1960年代後半に一世を風靡した、ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーの一人で「言葉の名手」、きたやまおさむ氏によって書かれています。きたやま氏は精神科医、臨床心理士、作詞家という多くの顔を持ちつつ、九州大学大学院教授などを経て、2021年から白鷗大学学長を務めるというキャリアを歩んできました。

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 そんな著者は、便利さや快適さを追求する現代社会で欠けているのは「むなしさ」の感覚だと指摘しています。「ああ、むなしい」と思うことは無駄とされてしまうけれども、ため息をつきながらも、そこに「私」がしっかりいることを認めて味わうことができれば、現代人の心はもっと豊かになると本書を通して主張しています。

 交通機関に乗っているときに、外を眺めてボーっとする。そんな人が、近頃少なくなった。著者のこの描写は、20代後半以上(スマホの出現をリアルタイムで体験した世代)であれば共感できるところでしょう。ボーっとする代わりに、スマホのディスプレイ上の膨大な情報の動きに、心と体が晒される。それにより「ああ、○○だなあ」と感じる「間」が消失し、「むなしさ」という感覚は現代社会において稀なものになりつつあると著者は説明しています。

「間」が生じたら、瞬時に埋めないと気がすみません。それでも、「間」が埋められないとき、あるいは、突然に喪失が訪れたとき、私たちは深刻な「むなしさ」に襲われ、どうしてよいのかわからず途方に暮れてしまいます。だから、「間」や「むなしさ」を事前に回避しようという悪循環に陥っているのが、多くの現代人の姿なのではないでしょうか。

「間」や「むなしさ」が避けられた結果、コミュニケーションは自分基軸ではなく、SNS等のリアクションや「映え」など、他者軸に変わっていく。著者が「ご期待応答力」と呼ぶようなそうした傾向が積み重なっていくと、考え方は「決めつけ」が先行し、人は他者を多面的なものではなく一面的なものとしか捉えられなくなってしまう。

 著者は様々な洞察とあわせて、「言葉の名手」として、あるいは医師として、平仮名たった一文字を起点にそうした時流を変革していく方法を本書で提案しています。なぜ「父」「乳」は「ち」という言葉から成っているのか。「ゆっくり」「ゆったり」「ゆとり」「ゆるす」「よゆう」という言葉には、なぜ「ゆ」という音が含まれているのか。そんな身近な観点から、「間」「むなしさ」の消失という巨大な課題に著者は立ち向かっています。

そこに「私」という人間が確かにいる。生きているからこそ、「むなしさ」が感じられる。
だからこそ、何かをしようと意識を働かせるのではなく、自分ではどうしようもないという諦めのもと、許される「ゆ」に身を任せてみるのも一法です。その時間、私たちは「間」を生きているし、「むなしさ」も味わえているのだと考えます。

「もう2月になってしまった」とカレンダーを眺めて思ってしまったけれども、あせらず、一歩一歩、自分らしく2024年を歩んでいきたいというスタンスの人にぴったりの一冊です。

文=神保慶政

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