ブレイディみかこ×詩人・谷川俊太郎の往復書簡をまとめた本。実は面識もなかった2人のやりとりが異色すぎる

文芸・カルチャー

公開日:2024/2/25

その世とこの世
その世とこの世』(岩波書店)

その世とこの世』(岩波書店)は、英国在住歴の長いライターのブレイディみかこ氏と詩人の谷川俊太郎氏による、1年半に及ぶ往復書簡を記録した本である。東京と英国ブライトンの慣習の違い、老いや介護にまつわる雑感、日々の暮らしの中での気づきなどが綴られており、ふたりがマイペースに言葉を紡いでいるのが印象的だ。奥村門土による描きおろしイラストが添えられているのもしみじみといい。

 帯にもあるように、ふたりは面識も接触も持たぬままに「言葉の逢瀬」を重ねた。筆者には、それによってこの本が結果的に途轍もなくロマンティックな相貌を帯びているように思える。見知らぬ畏友同士の文通が焼き付けられているかのようだ、とでも言おうか。そう、本書は、ネットやメール以前の直筆の手紙のやりとりのような、おくゆかしさと品の良さを湛えている。

 ふたりの間では、同じ事象に関する感想に温度差があるし、意思の疎通がうまくいっていないように映る箇所もある。でも、それも込みで滋味に富む交感/交歓が成り立っているのだ。話が広がる、というよりは膨らむ、膨張する、という言葉が似つかわしい。

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 例えば、ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、世の中が〈何を見ても戦争の話でもちきり〉の状態になってしまった時。世の中がひっくり返ったような騒ぎの中、話題はドストエフスキーなどロシア文学に関するトリビアルなトピックへと飛び火する。

 ベラルーシ人の父とウクライナ人の母を持ち、ノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ。彼女について書かれた『アレクシエーヴィチとの対話 「小さき人々」の声を求めて』にブレイディ氏は触れ、名も声もなき〈小さき人々〉の存在に注目する。

 あるいは、ドバイで出逢った、貧困にあえぐ出稼ぎ労働者とのやりとり。かつて観た映画にまつわるよもやま話などもブレイディ氏はしたためている。ヨーロッパのどこに行っても、街がホームレスだらけであることに言及しているのも、海外生活の長いブレイディ氏ならではだ。

 そして、なんとも唐突に挿入されるのが、ジャズやソウルの黒人ミュージシャンが、宇宙的モチーフを好んで取り上げることに触れた一節である。米国で抑圧/差別された黒人たちは、宇宙にその逃避場所を選んだ。ジャズ・ミュージシャンのサン・ラーが土星から来たと公言した、というニッチな話も記されている。

 余談になるが、筆者はサン・ラー亡き後、彼が率いたアーケストラ(ビッグ・バンドのようなもの)を束ねる、マーシャル・アレンというサックス奏者にインタビューしたことがある。彼は当然のように「我々は宇宙から来た」と言い放ち、「ホワイトハウスがあるからブラックハウスもあって当たり前だろう。だって、ホワイトハウスは黒人が作ったんだぜ」と、口角泡飛ばし答えてくれた。

 彼の名言/迷言は挙げだすとキリがないが、ひとつ、補助線となる発言がある。イギリスのミュージシャンのジャミロクワイは、黒人ミュージシャンの宇宙志向の理由について、「それは、宇宙が唯一人類がひとつになれて戦争が起こらないところだからさ。誰もが地球をずっと上から眺めることができれば、戦争をやめることをイメージできると思うんだ」と述べている。なんとアクチュアルな見解だろう。

 ……と、とりとめもなく話が飛散/拡散したが、こうしたとりとめのなさこそが、本書の魅力であり精髄でもある、ということでお許しを。ちなみに谷川氏は〈長い文章は書きたくないし、読みたくない〉〈詩ならあふれるように出てくる〉という通り、ブレイディ氏の手紙に主に詩で応答してゆく。

〈ブレイディさんの現実的実際的で明解な散文に、詩の朦朧体でご返事することを許してくださいますか〉との断りを入れたうえで、谷川は詩を記す。あらためて、素晴らしい詩の数々に感嘆の溜息が漏れる。これだけでもお得感があるというものだ。最果タヒら後続に与えた影響も含め、日本における「詩聖」(とあえて言おう)とはイコール谷川俊太郎のことであろう。

 また、ブレイディ氏が触れている、イギリスの若者らに浸透しつつある発想には少なからず驚いてしまった。それは、人類は少しずつ体を失っていく途上にあるという考えで、「トランスヒューマニズム」という概念だという。これは、彼らにとってはきわめてポジティブな思考らしい。要するに、人が肉体を捨ててしまえば悩むことも痛みを感じることもなく、快適で便利に暮らせるというのだ。

〈体がなければ病気も怪我も老いもない。人間が体を持っていることは人間に苦しみしかもたらさない〉〈体があるから人間は政治なんかに左右される。お腹が空かなければ政治や経済なんてどうでもいいのに〉と若者は言う。だが、〈人間は体に対する郷愁を捨てられないのではないか〉とブレイディ氏は言う。色々なことを考えさせられる記述である。

 とはいえ、ブレイディ氏は、トランスヒューマニズムに声高に反対を叫ぶのではない。拭いきれない違和感を、迷いながらも言葉に置き換えてゆく。そして、谷川氏も齢90になる自身の体験をもとに、ブレイディ氏の話に寄り添う。その様に胸を打たれた。

 棹尾に置かれた、プレイディ氏の母親の遺品にまつわる話にも頬が緩む。悪戯好きの少女のような母に関する想い出と、それに応える谷川氏の文章は実にチャーミングで、この本の幕引きに相応しい。「ああ、いい本を読んだな」という余韻と余熱が読後しばらく残った。

文=土佐有明

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