フォロワー100人以上は無差別に殺す? インターネットの世界から逃れられない現代人の心を抉る重厚ミステリー

文芸・カルチャー

PR公開日:2024/2/21

観測者の殺人
観測者の殺人』(双葉社/松城明)

 SNSに蔓延する差別やヘイト、根拠なき誹謗中傷に傷つけられる人は後を絶たない。「誰もが発信者になれる」時代は、これまで隠されてきた悪事を公にする力を得た代わりに、真偽の定まらぬ情報に踊らされ、他者を侮蔑することを是とする風習をももたらした。松城明氏による推理小説『観測者の殺人』(双葉社)は、そんな現代に一石を投じる物語である。

 主人公の今津唯は、大学に通いながら絵を描いていた。タブレットで描いた絵を「クォーカ」なるSNSに投稿する。それが、〈OnlyNow〉のハンドルネームを持つ彼女の日課であった。そんな唯には、陽子という友人がいる。陽子は、〈姪浜メイノ〉として活動するVチューバーだった。自分の顔を出さず、映像にキャラクターのイラストを合成して発信するVチューバー。陽子がその発信方法を選んだのは、自身の顔にコンプレックスを抱いていたためだった。陽子は、中学の同級生である唯が〈OnlyNow〉であることに気づき、「もう一人のあたしの絵を描いてほしい」と頼む。そこからはじまった2人の親交は、SNS上での活動を介して年々深まっていく。しかし、それはある日唐突に終わりを告げた。陽子が、何者かに殺害されたのである。しかも、殺害方法は頭部切断という猟奇的なものだった。

 陽子の殺害は、生配信の最中に行われた。3Dモデルの陽子の頭が、前方にスライドする。その後、背中がありえない角度に曲がり、上半身が下半身にめり込む。友人の異変を察知した唯は、陽子の自宅に向かう最中にその映像を目の当たりにした。そして、駆けつけた先で友人の首が床に落ちる音を聞いた。絶望と後悔に苛まれる唯だったが、この事件はのちに次ぐ連続殺人事件の序章に過ぎなかった。

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 陽子に引き続き、かつて暴力教師として学校を追われた男性が殺害された。いずれも猟奇的な手口で、連続殺人を仄めかす投稿がクォーカ上に流れた。

“以下の条件を満たすアカウント保有者を無作為に削除する。
1:日本国内在住であること。
2:フォロワー数が100人以上であること。
3:削除日の午前0時の時点で1および2を満たすこと。
削除は週に一度、無作為に選ばれた日時に実行される。”

 この投稿を行った「観測者」なる人物は、「姪浜メイノは前の条件を満たしているため削除された」と付け加えた。要するに、ここでいう「削除」とは「殺害」を意味する。この投稿がなされてから、クォーカ上はパニックに陥った。フォロワー数が100人以上の人となると、決して少なくない人数が該当する。被害に遭うことを恐れてアカウントを消す者、新たに別のアカウントを作る者、確率の問題から「大丈夫」と判断して傍観する者。それぞれが自分の判断を正とし、他者の判断を誤りとして醜い罵り合いがはじまった。それは同時に、姪浜メイノの死をコンテンツ化することを意味していた。

 殺害された2人には、ある共通項があった。2人とも、クォーカ上で特定の人物を揶揄する発言をしていたのである。その人物は、誹謗中傷が原因で自殺した。

“「言葉には人を殺す力がある」”

 人が人を殺す手段は、暴力だけに限らない。ネット上であれ、現実世界の陰口であれ、悪意を持って使われた言葉は、容易に人を殺める。悲しい事例は後を絶たず、そのたびに「ネットの使い方を考えよう」と大勢が口にする。それなのに、悲しいことはなくならない。人の善意に任せるシステムには限界があるのではないか。そう考える人は大勢いるだろう。

“暴力は無自覚に生み出されるし、善意が暴力を生むこともある。”

 この言葉の意味を、私たちは今一度噛み締める必要がある。事件の裏で糸を引く「鬼界(キカイ)」なる人物は、SNSのあり方に警鐘を鳴らすシンボルのような存在だ。鬼界の正体、鬼界に従う実行犯たちの過去が詳らかになるにつれ、悲しい真相が迫ってくる。本書で描かれる世界はフィクションだが、すぐ隣に現実がある。境界線は、紙一重だ。

 私たちはおそらく、インターネットのない世界には戻れない。だからこそ、自身が扱う言葉にもっと慎重になるべきだろう。どんなに憤ることがあったとしても、思いの丈を書き込む前に立ち止まれる自分でありたい。投稿はいつでも削除できるが、失われた命はかえらないのだから。“たかが言葉”と侮る時代は終わった。小さなスマホ画面に滑らせる指先のゆくえと、その先で示される社会のあり様は、私たち一人ひとりの肩にかかっている。

文=碧月はる

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