看守と囚人に分けると性格が変わる「スタンフォード監獄実験」は、実は嘘? 科学の根深い腐敗を探る一冊

文芸・カルチャー

公開日:2024/4/29

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Science Fictions あなたが知らない科学の真実』(スチュアート・リッチー:著、矢羽野 薫:訳/ダイヤモンド社)

 多くの人々は科学が大好きだ。科学はいつも客観的であり、正確であり、正しいと思っているからだ。しかし、その科学が、実はそこまで信じられないものだったとしたら…。

Science Fictions あなたが知らない科学の真実』(スチュアート・リッチー:著、矢羽野 薫:訳/ダイヤモンド社)は、著名な科学実験やベストセラーの間違いを紹介しながら、科学の根深い“腐敗”を明らかにしていく。腐敗とは、具体的には科学における不正、怠慢、バイアス、誇張など。これらが生じる仕組みを、多数の実例とともに解説している。

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 例えば、あなたは心理学の実験で有名な「スタンフォード監獄実験」を知っているだろうか。本書の説明を借りれば、1971年に行われたこの実験は、若い男性を「看守」と「囚人」のグループに分けて、スタンフォード大学心理学部の建物の地下につくった模擬刑務所に1週間滞在させた。実験を行った心理学者フィリップ・ジンバルドーによると、実験開始から驚くべき早さで「看守」が「囚人」に懲罰を与え始め、あまりにサディスティックな虐待になり、予定より早く実験を終了させなければならなかった。

 この実験の指す意味は、つまり、善良な人を悪い状況に置くと、物事はあっという間にひどく悪い状況に進む、ということ。本書いわく、あまりに有名になったこの実験は、地球上のすべての大学の心理学部で教えられるほどとなった。

 だが、2019年に潮目が変わる。本書が解説するに、この年、社会学者で映画監督でもあるティボー・テクシエが「スタンフォード監獄実験の偽りを暴く」と題した論文を発表した。この論文には、ジンバルドーが実験に介入して「看守」に振る舞い方をかなり詳細に指示している音声記録の未公開部分が書き起こされていたり、囚人にトイレを使わせないなど非人間的に扱う具体的な方法を示唆する様子が記されていたりしたのだ。本書は、「スタンフォード監獄実験」が実は“科学的には無意味だった”と断じている。

 この他、心理学者が「プライミング効果」と呼ぶ現象も取り上げている。これは、心理的なプライム(先行刺激)が無意識に人の行動を変える、というもの。本書が紹介する例では、コンピュータ画面に単語を1つずつ表示して「スプーン」が出てきたらボタンを押す実験をすると、前の単語が「フォーク」など食器に関連する単語の場合、「木」など食器に関連がない単語の場合よりわずかにボタンを押す速度が上がる、というもの。これは、社会心理学では「マクベス効果」と呼ばれるものと類似がある。マクベス効果の存在を公にした論文によると、倫理に反する行為のストーリーを書き写した人は石鹸を買いたくなり、また、倫理に反する自分の行為を思い出すように指示された人は実験室を出る際に消毒液を使いたくなる傾向が生じたそうだ。つまり、先行刺激が行動に影響を与えている。

 この二つの実験・効果を見ると、非常に科学的かつ信憑性のある内容に思え、納得してしまいそうだ。しかし、これらは後に、肯定的な立場で再現しようとしたグループによる再現実験の結果により、「再現性があるといえない」とされることとなった。

 本書によると、こういった出来事が続く中で、心理学者のあいだに動揺が広がったそうだ。心理学者たちは力を合わせ、心理学の権威ある学術誌3誌から100件の研究を選んで再現を試みた。結果、2015年に『サイエンス』誌に掲載された研究の再現に成功したのはわずか39%、2018年に『ネイチャー』誌、『サイエンス』誌に掲載された社会科学論文の再現では成功率62%となった。さらには、再現に成功した場合も、ほぼすべての再現実験で、元の研究が効果の大きさを“誇張”していたことがわかった、という。

 本書は、「不運のせいで再現できないこともある」「元の実験の方法をすこし変えたために再現に失敗したかもしれない」とは補足しつつも、この他、多様かつ多数の科学実験・研究における不正、怠慢、バイアス、誇張の証拠をメタサイエンス的に挙げつつ、「科学に深刻な問題が起きている」ことを多くの人に確信してもらいたいし、変革の必要に迫られていることを知ってほしいと希望を述べている。

 とはいえ、科学の専門家たちはともかく、私たち科学の素人一人ひとりができることはあるのだろうか。本書の巻末にヒントがありそうだ。巻末には付録として、「科学論文の読み方」が掲載されている。本レビューでは本書で挙げられた10の項目名のみの紹介としておく。

1 すべてが公正か?
2 どのくらい透明性があるか?
3 研究は適切に設計されているか?
4 サンプルの大きさは?
5 効果の大きさは?
6 推論は適切か?
7 バイアスが働いているか?
8 どのくらい信憑性があるか?
9 再現されているか?
10 ほかの科学者はどう考えているか?

本書は、科学的知見に直面したとき、信じるかどうか、判断を保留できる選択肢があると伝えている。私たちは、自分にとって、あるいは自分の論にとって都合が良い材料を好みがちである。それが一見、科学的根拠をもった実験・研究結果ならなおさらだ。私たちが冷静にそれらと向き合うことで、本書が警鐘する危機が改善に向かう一助となるかもしれない。

文=ルートつつみ@root223

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