失われた記憶、捻じ曲げられた人生は取り戻せるのか――圧倒的な語りの妙技で読者を翻弄しつづける、佐藤正午の7年ぶりの新作『冬に子供が生まれる』

文芸・カルチャー

公開日:2024/5/27

冬に子供が生まれる
冬に子供が生まれる』(佐藤正午/小学館)

 佐藤正午『冬に子供が生まれる』(小学館)は、直木賞受賞第一作であり、『月の満ち欠け』以来7年ぶりとなる新作である。最初に断っておくと、これはまことに妙な小説である。SFとミステリーとファンタジーの要素を併せ持ったエンタメとでも言ったらいいだろうか。比較対象がそうそう容易に見つからない。だからこそ、この謎めいた奥行きを蔵した本書は、ありきたりな小説に飽き足りない読者に、まっさきに薦めたい作品である。

 冒頭、丸田君という男のスマホに〈今年の冬、彼女はおまえの子供を産む〉という予言めいたショートメッセージが届く。丸田君にはそうした心当たりがなかったが、メッセージを何度も読むうちに〈これは、まったく身におぼえのない予言とは言い切れないかもしれない〉とも考える。なぜなら彼は、38年の人生の中におぼろげながら彼女の存在を感じていたのだ。奇妙なことはまだあった。その夜、偶然観ていたテレビのドキュメンタリー番組に高校の同級生たちが出演しており、「マルユウ」という、その呼び名からどうやら丸田君のことを話しているらしいのだが、明らかに自分とは異なる点がある。なぜこんなことが起こっているのか――そんな疑問が過った直後に届いたのが、あのメッセージだった。〈僕は大事なことを忘れているのかもしれない。何かとてつもなく大きな約束を果たさないまま生きているのかもしれない〉――彼の焦燥が伝わる不穏な始まりに心がざわつき、一気に引き込まれた読者も多いことだろう。

 主要な登場人物は、幼馴染みの丸田優、丸田誠一郎、佐渡理。小学生のときに転校してきた佐渡君は、ふたりの丸田姓の友達を区別するために彼らを〈マルユウ><マルセイ>というあだ名で呼び始めた。中学生までは〈二卵性双生児>のようにともに行動することの多かったふたりだが、高校に入ると道は分かれていく。マルセイは校内で人気者だった美少年とバンドを組んで注目され、マルユウは物静かで目立たない存在ではあったものの野球部の実力派エースとしてチームを牽引し、高校野球の県大会ではベスト16まで残った。

advertisement

 序盤の鍵を握るのが、第2章だ。それは自死した丸田誠一郎の葬儀のシーンから始まる。友人として出席した佐渡君は、帰りの車中で高校の同級生たちが語る故人の噂話をだまって聞いていた。大学中退後の職歴、家族との不和、知らされなかった結婚、妻の妊娠、そして不可解な彼の死因。読み手が混乱するのは、ここでの故人とはマルセイなのに、同級生たちはみな彼のことをマルユウと呼んでいることだ。しかも、佐渡君は彼らの記憶違いに気づきながらも正そうとはしない。そもそも、なぜここにマルユウ本人はいないのか。このあと、3人の共有体験として、2度のUFOとの遭遇とそれにまつわる交通事故のことが明らかになるが、はたしてそれは彼らに何をもたらし、マルセイの死にどう関わってくるのか。

 以降、過去と現在を行きつ戻りつしながら物語は進む。そこにはさまざまな人たちが登場してきて、マルユウ、マルセイ、佐渡君との関わりが描かれる。繰り出される新たな情報、モヤモヤとした違和感がなかなか晴れることがないのは、先の見えないストーリーによるものだけでなく、文章に施された仕掛け、語りの妙技によるところも大きいだろう。翻弄されながらも、一字一句を読み逃すまいと作品世界に没頭せざるを得ない。「私」という語り手が姿を現してからは、物語はまったく別の様相を見せていく――。

 本作は、冒頭の予言メッセージの謎を解くべく、マルユウ、マルセイたちの身に起こった不可思議な出来事を主軸に描きながら、彼らをとりまく人々の声や感情にも心を捉えて離さない切実さがある。人はなんと身勝手で人生はままならないものなのか。思いは行き違い、ときには孤独に苛まれ、絶望する――。そうしたやりきれなさに共鳴しつつ辿り着くラストシーンは、佐藤正午作品のなかでもとりわけ美しく優しい。

文=土佐有明、ダ・ヴィンチWeb編集部

あわせて読みたい