2006年10月号 『本を読むわたし』 華恵

今月のプラチナ本

更新日:2013/9/26

本を読むわたし―My Book Report

ハード : 発売元 : 筑摩書房
ジャンル:小説・エッセイ 購入元:Amazon.co.jp/楽天ブックス
著者名:華恵 価格:1,080円

※最新の価格はストアでご確認ください。

今月のプラチナ本

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?

2006年09月04日


『本を読むわたし』

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華恵 筑摩書房 1050円

 初めて自分で選んだ絵本のこと。
アメリカの田舎に住んでるおばあちゃんが読んでくれた絵本のこと。日本の図書館で出会った紙芝居のこと。下級生に読み聞かせてあげた絵本のこと。「いつも本があった」と語る著者が、4歳から14歳の間に出会った本とそれにまつわる思い出を語るエッセイ集。それは、アメリカと日本の違いに悩む思い出であったり、つきあいにくい同級生の思い出であったり、自分のルーツに対する悩みであったり。日常で出会う様々な事象を瑞々しく描く。

撮影/下林彩子
 

はなえ●1991年、アメリカ生まれ。日本に移り住んだ後、10歳からファッション誌でモデルとして活躍。2003年、「ハナとオジサン」で女優デビュー。2003年に『小学生日記』を刊行し、話題となる。


横里 隆

(本誌編集長。今号は念願のプラネタリウム特集。やたっ! 本と星って似てると思うんです。今夜はどちらに浸ろうか……)

独りで、ちっぽけで、震えていても

“本”があれば、きっと大丈夫だと


華恵ちゃんはやさしい。そのやさしさが行間から滲み出てきて泣けてくる。15歳という年齢ゆえに社会的に弱い立場だからやさしいのかというとそうじゃない。たった15年の間にいろんな悲しい経験をしてきたからやさしいのかというとそれだけじゃない。弱さや悲しさは、ときに人からやさしさを奪い去ってしまうことだってあるのに。どうして? それは、華恵ちゃんがずっと、ずっと、本を読んできたから。だからきっとこんなにもやさしいんだと思う。小学四年生の華恵ちゃんは、一年生の子たちに絵本『はせがわくんきらいや』を読み聞かせする。小さいときにヒ素入りのミルクを飲んで体をこわしてしまった長谷川くんと、彼のことを「きらいや」と言いながらもその背に負う男の子のお話だ。一年生の感想が「かなしくておもしろかった」だったように、僕も華恵ちゃんの本を読んで「やさしくて、かなしくて、あったかになったよ」と伝えたい。


稲子美砂

(本誌副編集長。主にミステリー、エンターテインメント系を担当)

本は、私の安心だった。


小学生の頃、何か落ち込んでしまうような出来事があると、書店や図書館に行って、たくさんの本を見て安心していた。これだけの本がまだ自分を待っていてくれる、読む本はまだたくさんあるのだと。本は好きだったけど、「本の虫」ってほどに毎日読んでいたわけでもない。でもたくさんの本はなぜか自分を元気づけてくれた。——『本を読むわたし』は、子どもに本との付き合い方を教えてくれるエッセイだと思う。自分が日々の生活の中で感じた喜びや痛みを、本の世界とリンクさせて自分なりの解決だったり、納得だったり、を導かせてくれるような。あの頃の私も知らず知らずに、本に相談相手になってもらっていた。子どもは孤独なものだ。大人になると、みんな同じようなことで悩んでいるって察しがつくけれど、子どもはそれすらわからない。華恵ちゃん、文章はとってもうまいけど、視線はやっぱり15歳。だからいい。


波多野公美
(4刷決定した角田光代さんの『この本が、世界に存在することに』も、本を愛している人のための一冊です)

「本が大好き。ありがとう」
という気持ちが素直に伝わってきた

「本」は、中身も、外見も、誰かの息づかいが感じられる娯楽だ。愛情を持って作られた本からは愛情が伝わってくるし、適当に作られたものからはそれが伝わってくる。「本」というのは、本当に人間らしい存在感があるものだと思う。だから、誰かの人生の中で、強く存在することができるのだろう——この本の著者・華恵さんが、「大切な思い出は、必ず本と結びついている。」というように。華恵さんは文章がとても上手なので、ときにはそのうまさを誤解されてしまうことがあるかもしれないけれど、私には「本が大好き。ありがとう」という素直な気持ちだけが伝わってきた。こんなふうに本を大好きだと思っている若い人がいてくれることが本当にうれしかったし、そういう人がもっと増えてくれたら最高だ。まずは、華恵さんと同い年の本好きな甥っ子に、この本を贈ろうと思う。


飯田久美子
(新書特集、お楽しみに! 9ページで15ページ分のお得さです。)

ありがとう、華恵ちゃん。


この本を読んでながれた涙は、ここ3年くらいで、ベスト3に入るしあわせなものだったと思う。少し前「いっぱい本を持ち歩く病」だった。両手に持った紙袋には二十冊ずつくらい本が入っていてたぶん10�以上はあったと思う。これから読みたい本だけじゃなく昔読んだ本も。「気持悪いからそんなにいっぱい持ち歩かないで」。大事な人に言われて約束しても、それでもどうしても本を持ち歩かずにいられなくて。どうしてだろうと考えて、本にいつもそばにいてほしいんだと気づき、「やっぱりわたしは本が好きなんだなあ」と思ったんだけど、「わたしは本のこと、好きなんだけど、片想いだなあ」と、真夜中のタクシーの中で泣いた。片想いでちょっと淋しいけど、好きだからしかたない。そのときはそういう感じだった。それが、一週間後くらいに『本を読むわたし』を読んでいるうちに、片想いっていうのはわたしの思い過ごしで、本は小さい頃からいつもわたしのそばにいて、わたしのことを守ってくれていたんだ、ということに気がつくことができた。そして、もちろん、今もそうであることにも。そう思えて、本をたくさん持たずに出かけることができるようになった。手には持っていなくても、心の中にずっと持っていられると思えたからだと思う。華恵ちゃんの読んできた本や思い出とは全然ちがっても、本が好きな人、1冊でも好きな本がある人、本を読んだことがある人はこの本を絶対好きになると思います。


関口靖彦
(戦隊モノへの愛あふれる、くぼたまことさんのギャグマンガ『天体戦士サンレッド』にハマリ中。怪人がかわいい)

金棒を得た鬼が向かう先

前著『小学生日記』の衝撃は忘れられない。小学生ならではの剥き出しの神経に触れたものが、その生々しさを減じることなく文章化されていたのだ。言語化以前の鮮烈な感覚を言語化してしまう凄まじい才能に、自分の無力さを直視させられ、『小学生日記』は、大好きなのに読むとつらい本となった。そして本書を恐る恐る読んでみると……著者はもう大人になっていた。ほとばしる才能はそのままに、それを制御する技術を身につけたのだ。概して荒々しいものに魅かれる私としては一抹の寂しさを覚えたが、それでも胸が高鳴った。才能に技術が加わったこのあと、とてつもない爆発が待っている気がするのだ。鬼が金棒を得て、次に何を生むのか、期待は高まる一方だ。


服部美穂
(本誌連載「爆笑問題の日本史原論」が単行本に!ダ・ヴィンチ10月号P.58の太田光さんインタビューもご覧下さい!!)

少女の頃、本は大親友だった。

ぎゅっと絞れば美味しいジュースができるのではないかというくらい瑞々しい魅力に満ちた作品集だ。この瑞々しさは著者が15歳の現役少女であるが故なのか、作家としての彼女の才能故なのか。その両方なのか。読みながら、一人の人間としての華恵ちゃんの眼差しや揺れる思いに強く惹かれてしまう。それこそが、彼女の術中にはまってしまった証なのか。気がつけば、彼女の倍の人生を歩んでいた私は、ついそんなことを考えてしまった。いずれにしても“いま”本書を世に出してくれた華恵ちゃんと、その感性に感謝したい。ここには確かに少女の頃の私自身のとまどいや喜びが描かれている。あの頃、本は宝物だった。そう。私も「本を読むわたし」だったんだ。


似田貝大介
(『幽』怪談文学賞・長編部門の募集を締め切りました。どんな作品が選ばれるのか、今からワクワクします)

思い出はいつも色褪せてゆく


いまさらながら著者の若さが信じられない、と何度も考えた。肌で感じた思いを等身大に過不足無くそっくり切り取った、素直で巧みな文章に惹き込まれていると、あたかも成熟した大人が幼年時代を振り返っているかのような感覚に陥る。しかし実際は、ほんの数年前まで小学生だった少女による、ほんの少し前の思い出なのだ。著者にはまだまだ鮮やかな風景が写っているのだろうか。一度読んだ本を読み返していると、作品への思い入れとは関係なく鮮やかに思い起こす、というよりも“匂い立つ”、その当時の風景がある。もちろん思い入れの強い作品ならばなおのことだ。著者はこの匂いがいつまでも褪せない、絶対嗅覚のようなものを持っているのかもしれない。


宮坂琢磨
(今年も煮物にカビがはえました。年中行事というやつでしょう)

見失っていた宝物がこの本に

いつの頃か、子どもの時分を出来事でしか思い出せなくなっていた。その時感じた興奮や不安や寂しさ(当時はこれらの言葉を知りもしなかった)が、どんどん薄れていく。言語に依って生きている今、言葉にできなかった僕の宝物は、ただ失われていく。そう考えたとき、この本の著者が本当に妬ましい。子どもの時にしか得られない感情を鮮明に覚え、感じていて、さらに自分の言葉で精緻に書くことが出来る。それがどれだけ贅沢な事か。本と出会ったときの興奮(としか書けない自分が情けない)を、生き生きと描く著者をみていると、なんて豊潤な世界にいるんだろうと、中途半端にひねこびてしまった身にも、憧れと少しの寂しさを感じてしまうのだ。


原田典子
(子供は夏休みだが私は仕事。亜熱帯になってしまった日本で夏に仕事はしんどい。歳だし)

まわりの人たちを大事にしたい


本が玉手箱であるのは誰でも同じ。でも、本とのかかわりをこんな風に自分の姿と重ねあわせた作品を読んだことはなかった。きっと同世代の子が読めば、その作品をんでみて華恵ちゃんの感じ方と比べるかもしれないし、華恵ちゃんより歳の上の人が読めば、華恵ちゃんのもつ飾らない心のすがすがしさ、忘れてしまっていた「自分のまわりを感じること」を思い起こすのではないか。きっと誰もが華恵ちゃんのように「本を読むわたし」を改めて考え、本が教えてくれるすばらしさ、それ以上に自分をつつんでいるまわりの人たちのことを、あらためて大事にしていきたいと感じた。

『無頼侍』(1〜2巻)
鈴木マサカズ エンターブレイン ビームC 651〜672円


人の思惑と無関係な現実で”無頼”の重みを知る

要鹿野宿にある日ブラリと現れた謎の剣士。彼は妹殺しの寛壱という百両の賞金首だった。彼を追う、浪人・鈴森岩十郎、浮浪児・紋太、淫乱女親分・蛇山の藍とその手下・馬鹿の千代松の道中を描く。——というのがこのマンガの大まかなストーリー。寛壱をねらう周辺の人物にスポットを当てることで寛壱の実態を浮かびあがらせる。周辺人物のそれぞれの思惑、欲望は様々に渦巻くが、彼らの目の前の現実はそれらと無関係に、しかし、厳然と屹立する。苦悩の末、決死の覚悟で寛壱を斬りに向かうが、刀を忘れる千代松。寛壱の剣から一命を取りとめ、神に感謝し、更正を誓いながらも病気であっけなく死ぬ男。罠に嵌められたことにすら気がつかないまま、藍を信じて斬られていく雑魚達。そこに、悲惨さと不条理さを感じながらも、なぜか笑いがこみ上げる。これは、馬鹿供への嘲笑ではない。人の何かに向かおうという崇高な...意思が、それらと無関係に存在する現実の重さに直面した時、諦めとともに心の奥底から漏れ出る笑いなのだ。呉智英氏はこの作品をある言葉で評した。いわく、無常と。(宮坂琢磨)

イラスト/古屋あきさ

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