「正義」はなぜ弱者を叩くのか? 現代にはびこる「正義」の正体は…

社会

2017/7/8

『「正義」がゆがめられる時代』(片田珠美/NHK出版)

 残酷な事件や不景気が続く中、「正義」を声高に叫ぶ人が増えている。政治家や芸能人、犯罪者からネットユーザーにいたるまで自らの正義を疑わず、他者を攻撃する風潮が蔓延しているのだ。誰もが加害者にも被害者にもなりうる、息苦しい時代が訪れているといえる。

 そんな時代の背景を『「正義」がゆがめられる時代』(片田珠美/NHK出版)は明らかにしていく。精神科医としての立場から他者に不寛容な態度を示す人々の要因を探ってきた著者は、本書でも膨大な参考文献をもとにして、現代にはびこる「正義」の正体に迫る。粗探しをするのもされるのも疲れたなら、本書から物の見方を変えるヒントをもらうのがおすすめだ。

 2016年は激動の年だったという書き出しから本書は始まる。中でも、ドナルド・トランプの大統領選挙当選や、相模原市の障害者施設で起こった大量殺人事件など「正義」をふりかざして他者を攻撃する現象が目立った。そして、著者は少なからず「攻撃する側」に賛同する意見があふれたことにショックを受ける。世間を騒がせたニュースを分析しながら著者は、日本社会で「正義」の概念がゆがめられていると気づく。もはや正義というよりも、不正者を貶めたいという「懲罰欲求」や「復讐願望」に変貌している可能性を指摘するのだ。

 たとえば、今もなおワイドショーを賑わせている芸能人の不倫報道の数々である。確かに不倫は罰せられるべき行為だが、それは当事者間の問題であって第三者がこれほどまでにバッシングを浴びせ、罰を望む必要があるのだろうか。

 また、小田原市の生活保護課担当者たちが「保護なめんな(HOGO NAMENNA)」とプリントされたジャンパーを着用し、生活保護受給者の家を訪問していたことも明らかになった。生活保護の不正受給者への警告だろうと思われる。そして、ジャンパーの背面には英語で「われわれは正義」と書かれていたという。しかし、生活保護申請者のうち、確認されている不正受給者は0.3~0.5%程度に過ぎないという調査もある。99%を超える正当な生活保護受給者は、ジャンパーの文字を読んだときに恐怖を感じたのではないか。

 著者はナチス党首、アドルフ・ヒトラーの前例を挙げながら、人間には「悪を否定したい欲求」があると解説する。ヒトラーがユダヤ人を虐殺した理由の一つに、アーリア人至上主義を掲げていた自分自身がユダヤ人の血を引く可能性があったからだという説がある。自分の中に「悪」が宿っているなら、同じ「悪」を排除することで自分の「悪」を否定できる。同じことが現在の日本でも当てはまると著者は考える。

 相模原障害者施設殺傷事件の犯人は、精神科病院に強制入院させられた過去があった(もちろん、精神疾患は「悪」ではないが、犯人はそう思ってしまった可能性がある)。不倫バッシングに必死な人々も、情欲を伴う人間である以上、自らが同じ過ちを起こしてしまう確率がゼロではない。生活保護バッシングの背景には、慢性化する不景気の中、誰もが貧困に陥る不安を抱えて生きている空気感がある。また、「自分は社会的能力が十分にあり、生活保護とは無縁だ」と思い込みたい欲求もある。経済的に転落する恐怖に敏感な日本人は、弱者叩きに加担することで自らは「まだ」弱者の側ではないと実感したいのではないだろうか。

 著者は「森友学園」問題、籠池夫妻が所属していた「日本会議」、そして日本が世界からいかに認められているかをアピールする「日本スゴイ」ブームにも言及する。これほどまでに「国民国家」幻想を強調する風潮は、裏を返せば国家や家族を頼れなくなった危機への防衛が働いている。「正義」が声高に叫ばれるほど、「正義」そのものが揺らいでいることの証明なのだ。

 最後に著者はこんな言葉で読者に警鐘を鳴らしている。

自分が仕返しや復讐のために誰かを攻撃しているということは、誰だって認めたくない。だからこそ、それを覆い隠すための便利な隠れ蓑として正義がしばしば用いられる。

「正義」という言葉が魅力的に見えるときこそ、この言葉を思い出して自分の心に「悪」が巣食っていないかを見つめ直したいところである。

文=石塚就一