『となりのトトロ』の“となり”って? ジブリ作品をもっと深く楽しむ「アニメ哲学」

アニメ・マンガ

2017/9/22

『ジブリアニメで哲学する 世界の見方が変わるヒント(PHP文庫)』(小川仁志/PHP研究所)

 何度見ても新しい発見があり、感じ方が変わる映画。こんな映画は名作と呼べるのではないだろうか。そして、そんな映画の一つにジブリアニメを挙げたい。

 例えば『魔女の宅急便』を初めて見た幼少期は、主人公キキがひたむきに宅急便の仕事に取り組む姿に「頑張れ!」と声援を送る。20歳を過ぎる頃になると、キキとボーイフレンドのトンボとの一進一退の恋模様にヤキモキさせられた。30を過ぎた今ではキキの苦難を乗り越え成長する姿、キキを支える周囲の優しさに胸を熱くする。もちろん、他の『天空の城ラピュタ』『千と千尋の神隠し』なども同様に、どこか懐かしさを感じながら、新しい発見・感じ方をするから不思議なものだ。

 そんなジブリアニメに登場する主要な諸概念を哲学したのが『ジブリアニメで哲学する 世界の見方が変わるヒント(PHP文庫)』(小川仁志/PHP研究所)だ。著者は哲学者でこれまで数多くの著作を世に送り出してきた小川仁志氏。小川氏曰く、宮崎駿監督の作品には人間にとって重要な深いテーマが描かれているという。そんなメッセージ性の高いシーンが作品内で数多く描かれているからこそ、見たときの年齢・気分によって新しい見方ができるようだ。

 本書では宮崎監督が脚本・監督を務めた長編アニメ10作品を著者が見て、思考したことをもとに「アニメ哲学」を展開している。以下に本書で取り上げている内容の一部を紹介したい。

■「魔女の宅急便」の“魔女”とは何か

 『魔女の宅急便』の主人公キキはタイトル通り魔女。修行のために、空を飛び大きな街にやってきたキキは黒い服にホウキを持ち、黒猫を連れている姿のため、特別視されることに。そもそも、魔女とは普通とかけ離れた“異端”な存在。そのため、周囲からそのように見られてしまうことは避けては通れない。

 そこで、著者は「キキが修行をしなければならなかった訳」について、普通であることを許されないという事実を心の底から受け入れるための通過儀礼であると哲学する。外の世界と関わるには、世間の目にさらされることは必然。とはいえ、外界と関わらなければ時代に合わせ、生きていくことはできない。外の世界とも良好な関係を築いていけるよう一人前の魔女に必要なものは“強い心”。それを手に入れ、自分自身の居場所を作るために、キキは修行をしなければならなかった、と著者は語っている。

■『となりのトトロ』の“となり”とは何か

 『となりのトトロ』のタイトルにもなっている“となり”という言葉には、もっと深い意味が込められているという。“となり”にいる存在は全くの他者ではなく、何か特別な交流が生まれるかもしれないし、何も起こらないかもしれない。そういう普通とは違った特殊な距離感のようなもの。

 作中でそのことを象徴しているのが、主人公のメイ・サツキの姉妹が雨の中バスを待っているシーン。二人が待っている“となり”にトトロがじっと立っている。お互いに存在を意識しているものの、何か話をするわけでもない。そんな距離感の中、サツキがトトロに傘を貸すことで、三人の関係に変化が生じる。傘のお礼にトトロが二人を助けてくれたのだ。そんな“となり”に何かが起こる可能性を著者は感じたそう。

 ただ何となく見ているだけでも楽しめるジブリアニメ。だが、著者のように「アニメ哲学」をしながら見てみると、宮崎監督が作品に込めたメッセージを新たに発見することができ、いつもと違った楽しみ方ができるかもしれない。私はひとまず、『風の谷のナウシカ』を、感じたことをメモに取りながら鑑賞してみようと思う。

文=冴島友貴