4度の結婚、韓国とタイに隠し子……野沢直子の父親がそれでも家族に愛された理由

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更新日:2017/10/27

『笑うお葬式』(野沢直子/文藝春秋)

 「死ねばいいのに」。型破りな親を持った子どもなら、一度や二度、親の死を真剣に願うことくらいあるだろう。好きなのか嫌いなのか。怒りなのか憂いなのか。執着なのか愛着なのか。親に対する複雑な感情が湧き起こるたび、その親の子として生まれてきたことを恨めしくさえ思う。しかし、いざ親の死と向き合うときが来たらどうだろう。最後は笑って泣いて見送って、その生涯を「一発当てた」と称賛したくもなるのだろうか。

 新刊『笑うお葬式』(文藝春秋)は、お笑い芸人の野沢直子が、さまざまな事業を興しては失敗する父親と、その成功を信じてやまない母親や祖母、異母弟妹について綴ったファミリー・ヒストリーだ。「一発当ててやる」が口癖の父親は、お金がないところからスタートして競馬関連の会社を興して大成功。一時は新宿にビルを持ち、逗子に別荘を持っていたにもかかわらず、死ぬときは所持金がたった千円…。まさに昭和の時代を絵に描いたような人だ。

 著者の父親は「飲む打つ買う」をおう歌し、結婚も4度繰り返す。最初の妻と離婚後、著者の母親と再婚。その母親が亡くなった半年後には、韓国にいた婚外家族を呼び寄せて再婚。その後、しばらくして離婚するが、75歳を迎えたとき、20代後半の女性と再々婚。が、また離婚。それだけでは収まらず、死後にはタイに家族がいたことが発覚する。

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 父親の新事実(と新家族)が発覚するたび、著者は仰天し、少なからずショックを受ける。しかし、どこか“クスリ”と笑える要素を必ず見出して、どんどん受け入れていく著者のバイタリティーと寛容さには脱帽する。相手が大物芸人であれ、ウナギであれ、物怖じすることなく、どこかスリルを楽しむように真っ向からぶつかっていく野沢直子の芸風は、こんなところがルーツだったのかと思うと、笑いながらも、どこか切なく、そしてまた、泣けてくる。

 著者の母親も、歴代妻達も、そして異母弟妹たちも、全員が父親に対してよい感情を持っているというのも彼女の家族らしい。今でいうなら、石田純一の家族に近いものがある。他者から見ると「かなり変」でも、本人たちにとっては、それが「日常」なのだ。そのうえ、父親は、死後ですら、さまざまなトラップを仕掛けてくる。その人生は実に痛快で、突拍子もなく、そして「笑い」のパワーに満ちている。著者は次から次に発覚する新事実に一喜一憂しながらも、最後はしっかりと自分と娘の中に流れている“父の血”を自覚する。後半は、親の背中をどこか直視できなかった著者が、格闘家デビューした娘の真珠に、親の背中を借りながら最大級の応援歌を送っているようにも読みとれる。

 家族とは? 絆とは? 許すとは? 受け入れるとは? 自分とはまったく関係のない恋愛模様や家族模様を覗き見したがっては、すぐに断罪したがる最近の風潮も相まって、改めて考えさせられる作品だ。

 本書はぜひ、型破りな親に翻弄されて、「死ねばいいのに」と今現在悶々としている渦中の人たちに読んでもらいたい。突拍子もない行動を起こす親というのは、残念ながらそうそう変わらないだろう。だが、一歩引いてその状況を見据えれば、そこには大いなる笑いが潜んでいるかもしれない。そうやって怒りも嘆きも悲しみも戸惑いも、すべて笑いで消化できたら、子どもは自ら「出口」を見つけ、大きな一歩を踏み出せるようになるのだ。

文=山葵夕子