「かくれんぼ」で得られる喜びとは? 「子ども」を100のワードから定義した1冊

出産・子育て

公開日:2017/11/14

『100語でわかる子ども (文庫クセジュ)』(ジャック・アンドレ:著・編集、古橋忠晃:翻訳、番場 寛:翻訳/白水社)

 子どもはさまざまな側面を持つ。可愛らしくもあり、汚い部分も持つ。純粋であり、邪悪だ。一面的に捉えることは難しい。

『100語でわかる子ども (文庫クセジュ)』(ジャック・アンドレ:著・編集、古橋忠晃:翻訳、番場 寛:翻訳/白水社)は、子どもに関する100の「ワード」を14人の専門家や実践家が解説しつつ、「子どもの定義」に迫る。原著はフランスの専門書で、原著の監修者ははパリにある精神病理学教授・精神分析家。決して読みやすい本とはいえないが、丁寧に読み込むと、私たちにとっても身近な「子どもに関する語彙」の奥底に潜む新しい一面に驚かされる。

 本書は事典のような体裁が取られている。私たちがよく知る「かくれんぼ」の項をめくってみる。子どもに付随する「かくれんぼ」から、子どものどのような本質が見えてくるのだろうか。一部を抜粋する。

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かくれんぼ Cache-cache

「隠れることは一つの快楽である。見つけられないことは一つの大失敗なのである」。

あらゆる遊びと同様、かくれんぼは外傷予防的な特質を帯びている。なぜならそれは、子どもにまず受動的に耐え忍んだということを能動的に制御することを可能にするからである。そのかくれんぼ遊びで得られる快楽は、大部分は、根本的に不安の中でこうむった状況の行為者であるという感情にある。

 このように、精神分析的な観点で文章が綴られる。この項の続きには、概ね次のようなことが書かれている。

 子どもは、子どもの寝室を離れる母親や、学校の通学路の角で方向を変える父親の姿を見ながら、「失うということは、何よりも見失うということ」と知る。しかし、見失っても、自分が親にとって愛される対象であるという永続性が保証されていれば、不安に耐えられる。かくれんぼも同様で、隠れることは、鬼に探してもらえるという存在肯定の快楽が得られるということ。しかし、「見つけてもらえない」という不安も同時に抱く。しかし、この遊びを子どもが楽しむことができるのは、他の子どもたちに「望まれている存在だから」と確信できるからだ。

 かくれんぼを通じて、子どもは自分の価値の再確認をしている。確かに、隠れている自分を見つけてもらえず、友達が帰ったと想像したら、これほど残念なことはない。

 ちなみに、本書によると、子どもがかくれんぼ遊びで得る喜びは、大人がストリップショーをみることで得る悦びと本質的には同じだという。共通するのは「隠すことと露わにすること」「よく見つけてもらうために隠れること」。

 本書に収録された残る99のワードを読むにつれ、子どもの定義が読者の中に浮き出てくるかもしれない。訳者はあとがきで、子どもの定義についてある程度の答えを示している。気になる方は本書に当たってもらいたい。

文=ルートつつみ