らんぶるもスカラ座も風林会館も台湾人が作った――丹念な聞き取り調査の積み上げで書かれた「新宿歌舞伎町」もうひとつの戦後史!

社会

2017/12/16

『台湾人の歌舞伎町――新宿、もうひとつの戦後史』(稲葉佳子、青池憲司/紀伊國屋書店)

 大歓楽街・歌舞伎町と外国人という組み合わせを見ると、一瞬、何か“キナ臭い”印象を抱く人もいるのは否定できないだろう。確かにこの街では、これまで多くの外国人による事件・犯罪が発生している。その臭いをことさらにかがせるようなゴシップ記事もまた、これまで無数に書かれてきた。それらは推測の域を出ないアイマイな情報で書かれている場合もあった。

 だが、『台湾人の歌舞伎町――新宿、もうひとつの戦後史』(稲葉佳子、青池憲司/紀伊國屋書店)はそれらとは一線を画す。歌舞伎町の街を作ってきた台湾人たちに丹念に聞き取りを繰り返し、書かれているのだ。

 終戦後数日にして、新宿駅前にはいわゆる「ヤミ市」が出現した。食糧や生活必需品が統制されていた時代、それらを自由に売り買いできるヤミ市には、庶民が殺到した。ここで頭角を現したのが台湾人であった。

 西口にあったヤミ市「和田組マーケット」(ちなみに今も残る「思い出横丁」は、この一部)で進駐軍からの横流し品などを売って力をつけた台湾人たち。その後、新興の盛り場であった歌舞伎町に徐々に進出していくのだが、その人々は、戦前は“日本人”であり、日本国内で育った上に高等教育を受けた人が多かった。それが終戦すると急に外国人となったわけだが、台湾の政情不安などもあり、日本にとどまり、商売の道に入った人が多かったのだ。ゴシップ記事をにぎわすような「裏社会」の人々ではなかった。

 歌舞伎町のなかで広く名を知られる「風林会館」、名曲喫茶の「らんぶる」「スカラ座」なども台湾人が作ったものであった。また彼らは独自の金融組織まで持っていたことが解き明かされる。

 これらは、かろうじて健在な当事者たちへの丹念な聞き取りと豊富な資料を裏付けとして書かれていく。キナ臭い方向へも流れず、特定の国の人を賛美するわけでもなく、証言と資料による事実を積み上げていくスタイル。こんな「正攻法」で歌舞伎町で活動した外国人を扱った本はかつてなく、淡々とした筆致もかえって凄みを感じさせる。

それにしても、本書冒頭のこんな言葉が最後まで重く、繰り返し思い出される。

「どこへ行っても開口一番、『あなたたちは来るのが遅すぎた。もう数年早ければ、詳しい人がいたのに……』」。

 戦後70年を越え、戦後間もなくの東京を知る世代は次々に街から姿を消している。そんなギリギリの時間のなかでかろうじて書かれたこの一冊。今読まずに、いつ読みますか?

文=フリート横田