執筆のきっかけは「あなたはリズム感が悪い」の一言から!? 日本人がもつリズム感のルーツをさぐる旅

ライフスタイル

2018/1/18

『日本人とリズム感』(樋口桂子/青土社)

 合唱で先走って歌ってしまった。カラオケで手拍子のテンポが狂ってしまった。ライブで感極まるも、腕をあげるタイミングが周囲とずれていた――そんな経験に心あたりがないだろうか(わたしは大いにある)。『日本人とリズム感』(樋口桂子/青土社)は、著者がチェロ教室でつきつけられた「あなたはリズム感が悪い」という言葉が執筆のきっかけだったという。

 なぜリズム感が悪いのか。素朴な疑問が、まずは日本と西洋との違いへのまなざしとなる。まえがきでは象徴的なエピソードが紹介されている。イタリア人と日本人との会話をみていた著者は、両者のうなずきかたが逆であることに気づいた。日本人は「そう、そう」と上から下へ打ち下ろすようにあごを動かす。一方でイタリア人の相槌は、むしろ上方に向かっていたのだという。しかも日本人が“タン、タン”と正拍でうなずくのに対し、イタリア人は“ンタンタ”と裏拍で相槌を打っていた。またそのイタリア人は、タクシーで流れた演歌の歌声に「この歌手は腹でも痛いのか」と心配げな反応をした。そんな経験から、著者は次のように考える。

 発声や仕草は、言語と文化の一部である。息の成分を積極的にとりこんだ声を、下方に向け絞り出す演歌。そしてあごを打ち下ろす相槌。このような発声や仕草に慣れている日本人は、より根源的な日本文化に由来する独特のリズム感をもっているのではないか。そして日本人とリズム感のルーツをたどる旅がはじまる。

 本書では言語、風土、文学、絵画、舞踊に歌謡曲など実に幅広い分野にまたがり、日本人とリズム感の謎が解き明かされていく。ほんの一部ではあるが、そのエッセンスを紹介してみよう。

 わたしたちが“上手にのれない”原因のひとつとして、連続したリズムに身体を委ねるのではなく、ついためてしまう、かまえてしまう傾向があるのではないだろうか。日本人のリズム感の特徴のひとつが、“断絶をつくるリズム”だという。

 西洋の近代音楽では、演奏がはじまる前からすでにリズムが流れている、という認識がなされる。拍と拍は、まるでどんどん飲み込まれていくようになめらかに連続している。このリズムの粘り気が西洋の特徴なのだ。西洋のリズムのルーツは狩猟文化にまで遡れるという。狩猟を成功させるためには地面を蹴り、身体のバネを使って伸びやかに上方へ向かう必要があった。しかも単発で終わらせず、つねに次の動きに備えることが重要だった。この動きが、前方や上下の方向性を意識した、瞬発性と粘り気あるリズムにつながったのだという。

 一方で日本は、稲作文化がルーツにある。稲作ではバランスを崩さないよう足を踏みしめながら、他人と呼吸を合わせつつ作業を進める。腰を落として身体を安定させながら拍の頭――つまり正拍で動作をそろえるリズム感が培われていった。また稲作では、つねに下を向きながら作業する。この身体感覚は、たとえば尺八のような和楽器にも反映されている。息を下方に向け、かがみ込むようにして吹き鳴らす。和楽器はいずれも、動きを下にして止めることでリズムの流れを切断しているのだという。

 連続するリズムと断絶するリズムという違いにくわえ、さらに重要なのは日本の“表と裏”の感覚だ。日本人が表と裏を区別するという感覚は、たとえば“本音と建前”という言葉でピンとくるだろう。文中では、掛け軸や表装の裏打ちの例もあげられる。日本人にとっての裏は、表と切断されているからこそ力を発揮する“表と拮抗した世界の半身”であった。

 そのような感覚をもつ日本人が、西洋のリズムを表拍・裏拍という意識でとらえたことで、連続するはずのリズムに表と裏の段差が持ち込まれた。西洋的なリズムと日本的なリズム感が出会うとき、戸惑いが生じ“上手にのれない”という事態がうまれてしまうのだ。

“上手にのれない”ことで悩む人々(わたしも含め)は、一刻も早く西洋のリズム感を体得したいと願うだろう。しかし著者の発見は、 “上手にのれない”事態――西洋と日本の差異を味わってみるのも面白いよと語りかけてくれるようだ。

 本書ではさらに、日本人がもつ“もの・こと”“気配”や距離の感覚など、リズム感につながるさまざまな要素が文学や絵画などから読み取られていく。その一部しか紹介できないことが残念だが、ぜひ本書を手に取り、楽しく豊かな文化論に触れてみてほしい。

文=市村しるこ