「おすい」と「汚水」の印象の差。生きることが楽しくなる「観察」

暮らし

2018/2/19

『観察の練習』(菅俊一/NUMABOOKS)

 私は地方出身者だが、東京という街で暮らすことが、基本的には好きだ。東京の街は発信者・発信物の意図の有無にかかわらず膨大な情報に溢れていて、それは確かに人を疲れさせることもあるが、やはり情報の刺激という面では日常を活性化させる効果もあるように思える。つまるところ、日常の中のあれこれを観察するという好奇心・探究心の向く対象が豊富なわけである。

 研究者・映像作家で多摩美術大学美術学部統合デザイン学科専任講師を務める菅俊一氏の「日常の観察」の記録が詰め込まれた一冊、『観察の練習』(菅俊一/NUMABOOKS)では、著者が日常で出会ったあれこれの写真と、それに対する彼の考察が56事例紹介されている。

 まず本書、表紙だけを見ても、物凄く“イケてる”。マットな黒のハードカバー、文字のバックは光沢の黒、ハードカバーにしてはコンパクトなサイズ感も相まってその手触りが心地良い。タイトルの文字は白と黒の絶妙なバランス。いけない、いけない、これではいつまでたってもレビューが進まないと思い、慌てて開いてみる。読む前からついつい観察したくなるカッコイイ本だ。

 さて、表紙の観察だけでつらつらと文字数を費やしてしまったわけだが、思い切って開いてみると、著者の観察対象を切り抜いた写真が実に美しい。ありふれているようで、滅多にない。繊細で、それでいて力強い。そんな本であると感じた。本書に収められた風景とそれに対する著者独自の考察をここに少しご紹介したい。

■「見慣れた組み合わせ」

 神保町の帰りに地下鉄の通路で著者が見つけた二本のパイプ。通常はグレーなど目立たない色に塗装されているものだが、これは赤と黄色の二色で塗装されている。

このパイプを見た瞬間、絶対にそんなことはありえないにもかかわらず、赤いパイプの中にはケチャップ、黄色いパイプの中にはマスタードが通っているようにしか思えなかった。もし二本のパイプが赤だけ、もしくは黄色だけだったら何も思わなかったのだろうが、この赤と黄色の組み合わせを見た途端、「ケチャップとマスタード」というイメージに私の頭は支配されてしまったのだ。(中略)このような状況に遭遇すると、自分が特定の色の組み合わせに対して、どのような先入観を持っているのかが露わになってしまう。

■「地下を流れる綺麗な液体」

 考え事をするとき、積極的に散歩をするという著者。偶然下を向いたときに目に入ったマンホールのフタには、ひらがなで「おすい」と書かれていた。そして、そのフタの下には綺麗な液体が流れているような気がしてしまったという。

(この表記の意図は)漢字をひらがなに「ひらく」ことによって、誰もが読めるように情報をコントロールしたのだと思う。

 しかし、世の中を見渡してみると、「おすい」という音を聞く機会はほとんどなく、実際には「汚水」と漢字で書かれた文字を目にする方が日常的だ。だから私には、普段ひらがなで表記されていることが多い「おすいもの」といった、別の「日常的に触れているもの」の知識が呼び出されてしまい、マンホールであることとは関係なく、単に文字の見た目の連想だけで、「綺麗なもの」という真逆の感想を抱いてしまった。

 日常の観察は、デザイン、小説、写真、絵画、音楽、哲学、建築など、実にさまざまな芸術・学問のインスピレーションを呼び起こす作業である。さらに言えば、表現者ではない人でも、日常を「あと一歩」注意深く観察することにより、その人の日々の幸せをより一層深いものにしたり、仕事の企画などに新たな切り口を追加させたりすることが出来るようになるだろう。

 毎日、普通なら見過ごしてしまうような風景の前で立ち止まってあれやこれやと考えている人は、愛する人と過ごす時間の幸福感なんかもまた繊細で格別なのではないだろうか。

文=K(稲)