「後で事実を知るとゾッとする」奇妙で怖いはずなのになぜか心が温まる『里山奇談』

ライフスタイル

2018/2/19

『里山奇談』(coco、日高トモキチ、玉川数/KADOKAWA)

 この世の中には人間が介入してはいけない領域が確かに存在している。それは場所であったり時間であったり、さまざまだ。そう感じているのは筆者自身も奇怪なことを経験することが多いからで、『里山奇談』(coco、日高トモキチ、玉川数/KADOKAWA)にはそんなエピソードが40話集められている。本書の中には、いわゆる心霊体験もいくつか紹介されているが、どういうわけか怖いという感覚がない。もちろん、読む人によって感じ方はそれぞれだろうが、読み終えた後に温かい気持ちになるのは不思議だ。山に関わる実話の怪談ものは何冊か読んでいるが、こういう感覚になる本は初めてである。一体なぜなのだろうか。

 本書のエピソードの語り手にはある共通点がある。“生き物屋”と称される人々だ。“生き物屋”とは虫や蝶などさまざまな生き物の観察や撮影などを愛好する人を指すらしい。『里山奇談』は時間があれば里山へと足を運ぶような“生き物屋”と、里山で実際に暮らす人々による体験集なのだ。つまり、奇妙なできごとのほとんどは彼らにとって日常であったり“そういうもの”として受けとめたりしてきたものである。奇談の背景には里山への愛情があるのも心が温まる理由のひとつかもしれない。これはまえがきにも書かれている。

動物が多様な顔を見せてくれる里山ならではの景観同様、ここには奇談・怪談の枠組みに収まりきらぬ物語が集まった。まさに生物多様性ならぬ怪異多様性と言える。しかしながらこれらの物語の中不意に顕れる奇しき出来事の数々は、彼の地と縁深い人々にとってはこれもまた日常のひとつの側面として、ごく当たり前に受け入れられているものである。

 しかしながら、書かれているエピソードの中には“怖いもの見たさ”からの好奇心でいわくつきの場所を訪れる者も登場する。「ヱド」や「廃病院にて」がそれだ。「ヱド」では語り手が好んで訪れたわけではないが、知らずにその場所に引き寄せられるところを通りかかった人物によって救われる。「廃病院にて」は実際にその場を訪れてはいるものの、何か核心に触れそうになる寸前で“誰か”に止められている。『里山奇談』の中で“人間が入ってはいけない領域”への警告を書いている2つのエピソードだ。こうした場所は日本だけでなくさまざまな所に点在する。面白半分で踏み入り、そこに息づいていた人々の暮らしの痕跡を荒らすという人たちがいるが、それがどんなに失礼で愚かな振る舞いかを教えてくれているのだ。

 奇談としたのは単に不気味で恐ろしいエピソードに寄せず、「おまっしらっさん」や「陰の膳」のような、どこかほのぼのとした“見えない何か”の存在にも触れているからだろう。そう、この2つのエピソードや「神木と御鈴」のような話こそが読み終えた後に「よかった」と感じさせてくれる。なんといえばいいのだろうか。奇怪なものに遭遇しながらも、結局は皆見えない何かに守られているという共通点を感じたからだ。だから心霊的な話があっても、結果的には怖いという単純な感想で終わらない。里山に愛情を持っている人、そしてそんな人々が“領域”に踏み込まないように守ってくれている何か、その相互関係が成立しているからなぜか温かく懐かしいのではないだろうか。

 山が色づく季節になると、普段は縁がなくとも里山を訪れる人はいるだろう。里山にはそれぞれの地域の風習があり、遥か昔から地域住民が共存してきた不思議がある。不躾に踏み入って無礼をはたらかないようにするのがマナーであることを忘れてはならない。そして、偶然不思議なことに遭遇したら“そういうもの”として受け入れる心も必要である。『里山奇談』はそんな心の持ちようを教えてくれる1冊なのだ。

文=いしい