人間全体を診る医師「家庭医」とは? 患者と医師の理想的な関係を探る

暮らし

2018/4/4

『対話する医療 ―人間全体を診て癒すために(孫 大輔/さくら舎)

 今年の4月に、厚生労働省が診療報酬を改定する。その中には、医師が風邪に対して抗生剤を使わずに、患者へ適切な説明をすれば医療機関に報酬が支払われるというのがあり、まずは副作用の出やすい乳幼児を対象に始めるようだ。風邪の原因の約90%はウイルスで抗生物質はウイルスには効かないものの、肺炎の予防などのために処方されていたのが、いつしか人々から風邪薬の一種と誤解されてしまった。そして、抗生物質を処方してもらえないと不安になる人がいるものだから請われて処方する医師も少なくなく、しかし抗生物質の多用により薬が効かない耐性菌が発現し、院内感染が深刻な問題となってきたため対応に国が本腰を入れることとなった。つまり、医師と患者との「対話」を促す仕組みができるわけだが、『対話する医療 ―人間全体を診て癒すために(孫 大輔/さくら舎)を読むと、この改定は日本における医療の一里塚になるかもしれない気がした。

 看護の博士号を持ち医療者の教育に携わる著者は、「家庭医」としての診療も現役で続けている。「家庭医」を「かかりつけ医」と理解して差し支えはないが、本書では子供から大人までの「家族」全体を診て、必要に応じて患者の「家」を訪問し、その家族や友人のみならず「社会というネットワークの中にある者」を診る医師といった多くの意味を込め、「家庭医」としている。そして、医師の専門化が進んでいる中で家庭医の専門スキルはというと、それが「対話」だそうだ。病状によっては専門医を紹介するのはもちろん、反対に不要な検査を繰り返すのを防ぎ、あるいは経済的な事情で医療機関にかかるのを躊躇していると分かれば行政やNPO団体との連携を行う。そんな多職種連携において重要なのは、それぞれが専門家であるからこその「ヒエラルキー(力関係)」が生じないよう対等な立場を維持することで、そこでも「対話する力」が欠かせない。

 著者は「映画や演劇の話になったりして、一風変わった本に見えるかもしれません」と謙遜しているが、中でも私は似た用語同士の意味の違いや、同じ言葉が複数の意味を持つことの解説を興味深く読んだ。例えば「コミュニケーション(Communication)」と「対話」は似ているようでいて、前者はラテン語からきており「何かを共通のものにする」という意味を持つのに対して、「対話(Dialogue)」はギリシャ語の「言葉を通して意味をやりとりする」という意味なのだとか。本書では、抗生物質を求める風邪の患者に医師がウイルスには無効であることを説明したとしても、それは自分の見解を伝えただけの「コミュニケーション」であり、どうして患者が求めるのか「好奇心を持ち、聞いてみる」ことから対話が「始まる」と述べている。

 医学教育の未来に関する章で人工知能に軽く触れているだけなのは、おそらく自身の専門外のことだからだろう。それでも、膨大なビッグデータから判断する能力には期待している様子がうかがえる。人工知能が発達すれば医師など不要と考える人もいるようだが、著者によれば2000年代に入って、医者が患者から一方的に話を聴く「問診」という呼び方を、双方が対話する「医療面接」と改めた実習を医学生に行わせるようになってきたそうで、人間の医師の仕事は「ヒューマン」であることが専門となるのかもしれない。

 そうなると人間同士には、どうしたって相性の問題が避けられない。どんなに医師が誠実だろうと技量に優れていようとも、自分とは合わないということがあるだろう。ならば結婚相手を探すかのように慎重に、しかしできるだけ早く自分の「健康」を任せられる医師に巡り逢うための努力が必要だ。体の調子がおかしいときには、それをチャンスとばかりに婚活ならぬ医活でもしてみようか。

文=清水銀嶺