ある日突然、720万円の請求書…認知症だった父を奪った鉄道事故で息子は「被告」となった―

社会

2018/5/26

『認知症鉄道事故裁判 ~閉じ込めなければ、罪ですか?~』(ブックマン社)

 2007年12月7日、夕方。JR東海道本線共和駅で、高井良雄さんが鉄道事故に遭い亡くなった。良雄さんは認知症を患っており、事故の状況からトイレを探して線路に出てしまい、電車に轢かれたものだと思われる。家族は悲しみに暮れ、ようやくショックから立ち直りかけたとき、JR東海から書面が届く。それはなんと、良雄さんの事故についての損害賠償を一方的に求める内容だった。

 良雄さんの息子、隆一さんは7年にもわたってJR東海と損害賠償をめぐる裁判で戦うことになる。『認知症鉄道事故裁判 ~閉じ込めなければ、罪ですか?~』(ブックマン社)は、隆一さん自身による7年間の記録だ。全体を通して、JR東海の無理解、傲慢さについての怒りが滲んでいる。それと同時に、世間一般が認知症の実態についてあまりにも学んでこなかったことが、今回の裁判につながったともいえるだろう。認知症と共生していく社会の実現に向けて、隆一さんが戦った意味は非常に大きい。

 良雄さんの事故から5カ月後、JR東海から届いた書面を見てみると、あまりにも事務的な文章に驚かされる。

本件により弊社に別紙の通り損害が発生しておりますが、これまでに関係者の方より何ら連絡をいただけず今日に至っております。

 鉄道事故の遺族が自らJR東海の窓口を探し、損害賠償を支払うための手続きを進めるのが当たり前といわんばかりだ。隆一さんは知り合いの弁護士に相談したうえで、父の主治医に診断書を作成してもらい、良雄さんに認知能力が無かったことを証明する診断書をJR東海に送った。ところが、それから半年以上も経過してから来た返事ではさらなる暴論が振るわれていた。JR東海は、診断書が事故後に作成されたことや、主治医が認知症の専門医でないことから「証明力に疑義がある」と断定した。そして、14日以内に損害賠償金720万円を支払えなければ、裁判所に訴え出ると通告してきたのだ。

 隆一さんは怒りに震える。事故から1年、JR東海は線香さえあげにこなかったばかりか、まともに遺族と話さえしていない。それなのに、損害賠償だけは書面で何度も請求してくる。その後もJRからの督促は途切れない。最初はある程度の賠償を支払う覚悟もあった隆一さんは、JR東海の心ない対応に我慢できなくなった。そもそも、共和駅の駅員が父に気づいてくれたら、線路に降りる階段の扉が施錠されていたら、父は死なずにすんだのではないか―。ついに、JR東海は隆一さんの財産を仮差押えするなど、強硬手段に出てくる。そして、隆一さんたち遺族は一度もJR東海の人間と対面しないまま、裁判に突入したのだった。

 裁判の焦点は「良雄さんに意思能力はあったのか」「意思能力があったとしても家族は監督義務を果たしていたのか」の2点だった。良雄さんの症状と、隆一さんたちの献身的な介護については、本書でも専門家から裏づけがなされている。しかし、JR東海側は裁判に勝つため、徹底的に隆一さんたちが監督義務を果たしていなかったと攻撃した。JR東海側の主張を要約すれば、「認知症の人間がいるのに鍵をかけて閉じ込めなかったのはおかしい」というもの。JR東海側は認知症を「危険な存在」だと決めつけ、常に監視していなければ「家族が怠慢」だと言い放ったのだ。

 本書では、第一審で全面的に敗訴した隆一さんが、最高裁で逆転勝訴をつかみとるまでの過程が綴られている。それは、裁判所が認知症について理解し、法律が現場に追いつくまでの過程でもある。本件の判決は今後、社会が認知症とどう向き合っていくかの概念を変えるほど貴重な出来事だ。自由を奪い、認知症を世間から隔離することが「介護」だという考え方を改める必要が出てきたのである。隆一さんたち遺族と弁護団は変革の第一歩を刻んだといえるだろう。

 なお、JR東海は最高裁判決後、今後も鉄道事故遺族への賠償請求をするとのコメントを残している。

文=石塚就一