「一日十二時間は眠りたい」人生を徹底して怠けた結果…

文芸・カルチャー

2018/6/16

『怠惰の美徳』(梅崎春生/中央公論新社)

 私はニートであったことはないが、現在に至るまでに合算半年ほどの失業期間と、何度かの倦怠期を経験している。失業期間がニートに属さないのは、わずかな家事と就労に向けての準備だけは怠っていなかったのが理由だ。しかし、やるべきことはあるのだが、何となくやる気が起こらない、怠けてしまったという経験は、結構な年齢になってからもある。

 私の場合、怠けてしまったあとは猛烈に集中する。きついスケジュールで仕事を終えた時の達成感がたまらないのだ。仕事Mだと自称している。追い込むことによる集中力の凄まじさは、加圧トレーニングに近いものだろうか。ちょっと違うかもしれないけど。内容はやや異なるが、『怠惰の美徳』(梅崎春生/中央公論新社)を読むと、自分にも該当することが多く、妙な親近感を持った。

 梅崎春生氏は、1965年に他界した作家である。もう、半世紀以上前に亡くなった人物だ。『怠惰の美徳』は、梅崎氏の私生活や思考を綴った短編やエッセイをまとめた本で、いわば、梅崎氏の人物像が丸わかりできる一冊である。よっぽど好きな作家でもなければ私生活を書いた本は楽しめない、と普段の自分なら思うところだが、タイトルに惹かれて読み進めると、何度も吹いた。面白すぎるじゃないか、先生。何がって、梅崎氏の怠けぶりが筋金入りなのだ。その怠けぶりが如何なるものか、本書から一部抜粋しよう。

寒くなると、蒲団が恋しくなる。一旦蒲団に入れば、そこから出るのがいやになる。いやになるから、朝眼をさましても這い出さない。朝飯を枕もとに運んでもらい、横臥したままひとりで摂取する。昼飯時になると、昼飯もまた枕もとに持って来させる。事情が許せば、そのまま夕方まで寝ているが、たいていの日は事情が許さないから、渋々と起き上がり、机の前に座る。机の前に座るということと、仕事をするということは同義語ではない。机の前に座っても、鼻毛などを抜きながら、ぼんやりしていることだってあり得る。私の場合はその状態の方が多い。実際にペンで字を書いている時間は、平均して、一日の中二時間足らずだ。

「いやいやいや、先生、さすがに怠けすぎでしょ!」と突っ込みたくなるくだりだ。自分の身内にこのような人物がいたら、相当いらいらするに違いない。さすがに、ここまでの堕落ぶりは病気でもなければ経験はないが、梅崎氏は健康体でありながらやってのけるから笑える。梅崎氏は、自身を怠け者と表現するが、正確には「如何に楽をするか」をテーマに生きてきた人物だ。実は、この基本的な姿勢と思考にこの本の真の面白さがある。

 梅崎氏は、非常に自然体だ。作家であるという気負いや「先生」という、どこか上からの視線でものを見る姿勢や、自分を特別視した風も感じない。淡々と、隠しもせずに、自分の生い立ちから執筆当時の生活に至るまでの「怠けっぷり」を綴っている。楽をしたい理由や時期についても、自分で分析したまま書いているだけだ。だが、それが、読んでいて心地よい。それは、本当に堕落した人間ではないというのも理由だ。全編通して見えてくるのは、本来は真面目な梅崎氏の人物像。真面目ゆえ、全部さらけだし、それが読み手に安心感をくれる。これ、自分の置き場所に悩んでいる人や、社会についていけなくなっている人に読んでほしい。

 現代人が梅崎氏のような行動をとれば、ただちに「今の若い者は」または「これだから○○は」という言葉を投げつける人は多いのだろう。しかし、こういった言葉を投げる人は、どこか上から言いたい人が多いと個人的に感じている。だが、梅崎氏のような人は、実際に少ないとはいえない。一見怠けているようであるが、自分でも行動を起こせないこともあれば、短時間の労働で暮らせることもある。人と同じ行動をし、長時間の労働が美徳であるような日本の中で、苦しみ、自分を見失いがちなときには『怠惰の美徳』で肩の力を抜いてみてはどうだろうか。甘いものでもつまみながら、気軽に読みたくなる本だ。そして、妙にホッとする。

文=いしい