文学界を代表する、絶望名人カフカと希望名人ゲーテの対話がおもしろい!

文芸・カルチャー

公開日:2018/7/2

『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ』(頭木弘樹:編訳/草思社)

 失恋ソング、応援ソング、どちらにも良さがある。同様に、絶望の言葉も希望の言葉も、どちらも人を癒し、勇気づける。

 世に名言集は数あれど、本書ほど、絶望と希望という「言葉の絶妙な陰陽バランス」が味わえる本はない。それが『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ』(頭木弘樹:編訳/草思社)だ。

 2014年に飛鳥新社から刊行された『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』を改題し、大幅に加筆改訂して文庫化された本書に登場するのは、古今東西の文学界を代表する陰キャ(ネガティブなキャラクター)のフランツ・カフカ(1883~1924年)と、陽キャ(ポジティブなキャラクター)代表、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749~1832年)の遺した言葉である。

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 秀逸なのは、構成と言葉のチョイスだ。同じテーマについての2人の言葉を並べることで、その対比がダイレクトに感じられるよう、見開きごとに、ゲーテとカフカが配置されている。1ページに言葉。もう片ページには、編訳者である頭木氏が、その言葉が生まれた背景を解説してくれているので、2人の作家の生き様についても同時に学べる工夫が施されている。

 例えば、対話1のテーマは「前向き×後ろ向き」で、そこにはふたりの、こんな言葉が記されている。

(ゲーテ)
 なんでそう深刻に、
 世間のことで思い悩みたがるのか。
 陽気さと真っ直ぐな心があれば、
 最終的にはうまくいく。

【詩 格言風に】

(カフカ)
 すべてが素晴らしい。
 ただ、ぼくにとってだけは、そうではない。
 それは正当なことだ。

【日記】

 まるで2人が対話をしているかのように、言葉が選ばれている。2人がいまの時代に生きていて、ツイッターでこんなふうにつぶやき合ったら、さぞやおもしろかっただろう。本書によれば、カフカはゲーテファンだったので、間違いなくゲーテをフォローしたはずだ。一方のゲーテは、カフカをどう思っただろうか…?

 他にもいくつか、2人の対話をご紹介しよう。

(ゲーテ)
 生きている間は、生き生きしていなさい!

【ファウスト 未発表断片】

(カフカ)
 僕は静かにしているべきだろう。
 息ができるだけというだけで満足して。
 どこかの片隅でじっと。

【日記】

(ゲーテ)
 孤独はいいものです。
 落ち着いて自分らしく生きることができて、
 やるべきことがはっきりしているなら。

【シュタイン夫人への手紙】

(カフカ)
 孤独は、
 ぼくの唯一の目標であり、
 ぼくが最も心ひかれるものであり、
 ぼくに可能性をもたらしてくれるものだ。
 にもかかわらず、
 これほどに愛しているものを、ぼくは恐れている。

【プロートへの手紙】

 言葉こそ対照的なふたりだが、本書によると、共通点はすごく多いという。例えば、2人とも裕福な家庭に育ち、父の期待を背負わされ、それが原因で父との確執を抱えた。そして本業は2人とも役人で、作家は副業だった。

 違いといえば、ゲーテは生前に著作『若きウェルテルの悩み』が大ヒットし、人気作家としての知名度を上げた。一方でカフカは、無名のまま生涯を終えている。また、ゲーテは恋愛に積極的な恋多き男で、結婚歴も子どもあり、75歳で19歳の女性にプロポーズし、見事に玉砕している。一方カフカは、恋人はいたものの、結婚には踏み切れず、生涯独身だった。

(ゲーテ)
 あの人がわたしを愛している!
 ──そのときから、
 わたしは自分自身に、
 どれほど価値を感じられるようになったことか。

【若きウェルテルの悩み】

(カフカ)
 なんと言っても、
 あなたもやはりひとりの若い娘なのですから、
 望んでいるのは、ひとりの男であって、
 足もとの一匹の弱い虫ではないはずです。

【フェリーツェへの手紙】

「朝、目が覚めたら、虫になっていた」という衝撃的な始まり方をする、カフカの『変身』は、10代の頃の筆者の愛読書だった。本書を読むと、カフカの生涯にわたる陰キャ(陰気キャラ)が、どんな背景によって形成されてきたのかがよくわかる。

 また一方で、陽キャ(陰気なキャラ)のゲーテにも、カフカ同様の葛藤や病気への恐れなど、カフカ以上かもしれないもろさを内包して生きていたこと、なども教えてくれるのである。

 人生観が陰陽どちらだろうと、何かを真剣に見つめて生き、それを後世の人たちに伝えられたのであれば、充実した人生だったことに違いはない。ふと、そう感じた。

文=ソラアキラ