あの骨は本物だったのか? 幼き日々の思い出の色が塗り替えられた瞬間、事件は始まる――推協賞作家・宇佐美まこと『骨を弔う』

文芸・カルチャー

2018/7/18

『骨を弔う』(宇佐美まこと/小学館)

 心の中を覗いてみれば、誰にだって幼い頃に体験した小さな冒険の記憶があるだろう。いつもはやらないことを、親たちには内緒で、こっそりやってみる。大人には他愛ないことでも、子供にとってはきらめく勲章だ。

 だが、そんな牧歌的な思い出が、恐ろしい犯罪の一側面だったかもしれないことに突然気づいてしまったら、あなたならどうするだろうか。

 宇佐美まことの新刊『骨を弔う』(小学館)は、過去と現実の魂が複雑に絡まり合う物語だ。ことの発端は、新聞の地方面に載った記事。埋められて数十年は経った骨格標本が川の土手から見つかったというささいな事件の一報を、ほとんどの読者は読み飛ばしたに違いない。

 だが、ひとりだけ鋭く反応した男がいた。骨が見つかった替出町のそばで木工職人をしている本多豊だ。豊は思い出したのだ。30年前、小学5年生だった夏に5人の仲間で骨格標本を埋めに行ったことを。しかし、埋めた場所は川ではなく、山だったはずだ。それなのに川で見つかったというのなら、自分たちが埋めた骨は何だったのか。

 まさか、本物だった?

 降ってわいた恐ろしい疑念に心が囚われた豊は、冒険の首謀者だった佐藤真実子を探そうとする。だが、彼女の行方は杳として知れず、消息を求めて幼馴染を順番に訪れていくうち、豊はさらに恐ろしい疑惑に取り憑かれていく。あの骨の人間を殺したのはごく身近な人物だったのではないか、と。

 著者は、この物語を自分なりの『スタンド・バイ・ミー』として書いたという。だが、S・キングが『スタンド・バイ・ミー』で「一瞬の光芒を放った子供時代」を書いたのに対し、本作は30年後の現実を生きる大人たちの姿に重点が置かれているのだ。

 骨の正体と、消えた同級生の行方という2つの謎を追いながらも、豊が直面するのは、誰にでも訪れうる人生の陥穽にはまり、身動きできないでいる友人たちの姿だ。

 閉塞感、喪失感、無力感、モラトリアム。

 そうした状況に風穴を開けていくのが、幼児を脱し大人のとば口に立つ前のほんの短い間の思い出であり、強い個性の持ち主だった真実子の言動の記憶だった。最初はなんとも弱々しい登場人物たちが、忘れていた思い出を頼りに人生を立て直す力を得ていく姿は、地に足の着いた力強さに満ちている。そして、思わず目を見張る大胆な仕掛け。

 発売前に本作を読んだ関係者からは、「いちど読んだら、引き返せない小説」「読んでいて苦しい、でもやめられない」など、絶賛の声が次々届いたというが、さもありなんである。これまでの宇佐美小説がそうであったように、本作も平凡な一個人の心に潜む闇が丹念に描かれている。だが、その底に見え隠れするのは、決して消えることのない希望だ。

「真っ暗闇の人生でも、何か小さな光があれば人は生きている」

 著者は、そんな信念を持ち続けているという。だから、今、自分を取り囲むすべてが灰色に見えている人にこそ、この小説を読んでほしい。すべてを解放する最後の一行を読んだ瞬間、心の澱が浄化されるのを感じるだろう。それほどの力を、この物語は持っている。

文=門賀美央子