いじめられている子の命を救うためにできること―微弱なSOSに大人が気づくための「11のきっかけ」

出産・子育て

2018/7/24

『いじめで死なせない: 子どもの命を救う大人の気づきと言葉』(岸田雪子/新潮社)

 LINEや掲示板などでの「ネットいじめ」が世間で騒がれるようになっても、私には何が問題なのか分からなかった。子供の頃にいじめられた経験からすれば、いじめから逃れるうえで一番の問題は学校という閉ざされたコミュニティーからの脱出方法だったし、悪口を言われたり物を隠されたり、あるいは暴力を振るわれたりしたとして、大人に助けを求めようにもその被害を証明するのが難しかった。それに対して、ネットでのいじめにおける悪口などは電磁的記録が残るし、暴力行為を動画撮影するというように加害者自身が証拠を残してくれて、学校以外のコミュニティーを探すのも容易なのだから、どうしてまだ死を選ぶ子供がいるのか理解できなかったのだ。しかし、『いじめで死なせない: 子どもの命を救う大人の気づきと言葉』(岸田雪子/新潮社)を読むと、いつの間にか私は本書で指摘しているように「自分も耐えてしのいだ。あの子も耐えられるはず」と考え、「見て見ぬふりをして加害の輪に入ってしまう」という「循環型のいじめ」の領域に迷い込んでいたらしい。

 本書は、いじめによって子供を失った親や、実際に首を吊りながらも生還した人、自殺した被害者の同級生などへの取材を通じて、何がその生死を分けたのかを綴っている。いちばん身近であるはずの親が自分の子供がいじめられていることに気づけない実態は、やや古いデータながら1996年に当時の文部省が全国規模で2万人の親子と教師を対象に行なったアンケート調査から窺える。「自分はいじめられている」と回答した子供の保護者の実に半数以上が、「自分の子どもはいじめられていないようだ」と答えていたというから、「親はいじめも心配するだろうけど、学校を休んだら将来のことも心配するだろう」と小学生ながらに考えて相談できなかった被害者が、父親に「学校、休むか」と言われて「夢のようでした。逃げられない場所だと思っていたのは錯覚」と語っているのには安堵した。

 しかし、いじめを受けて学校を休む間に「学校は行くのが当たり前」と思っている親との関係が悪化し、高校2年生の時に自室で首を吊った女性は、早期に発見され一命をとりとめたものの、精神科病院の閉鎖病棟へ強制的に入院させられてしまったという。そんな彼女が救われたのは、退院後に訪れた不登校の子を持つ親の集会で、カウンセラーから「あなたは、あなたのままでいいんだよ」と言われたことだったそうだ。著者は別の人の事例を挙げ、いじめの相談をされたらカウンセラーのように「落ち着いた態度」が重要であると述べている。理由は、誰かに相談するという行為が、たった一度の「大きな挑戦」だからだ。そこで慌てふためいたり取り乱したりしては、相談相手に心配をかけたくない、あるいは報復を恐れる子供は二度とSOSを発しなくなる。また、一番いじめがひどかった時の記憶が「PTSDによる解離性健忘症」と診断され思い出せないという被害者は、「学校に行かなくていい、では足りないと思います。学校に行くな、と言ってほしい」と取材に答えている。彼の「いじめられると判断力が無くなってしまうんです」という証言を、私たちは心に留めておくべきだろう。

 正直、いじめをテーマにした本を読むのは気が滅入るから避けたい気持ちがある。だが本書では、子供たちが生きのびられるよう「自分を守る力を育てる」活動をしているNPO法人に触れ、小学校での「うぉーー!」と声に出して助けを求める練習の取り組みを紹介していた。それは助ける側も同じで、日頃から訓練をしていない人がいざという時に他人を助けるのは難しいように、スポーツ選手が肉体トレーニングをできない時にもイメージトレーニングは欠かさないように、本書を読むことは子供たちを守る救命訓練になるはずだ。私は、この訓練を続けていこうと思う。

文=清水銀嶺