小説だけが持つ圧倒的な読書体験をもたらす、480ページの大作『名もなき王国』――ラストで読者が目にするものとは?

文芸・カルチャー

2018/8/4

『名もなき王国』(倉数 茂/ポプラ社)

 言葉でしか綴れない物語、というものがある。

 そして、小説という表現でしか顕現できない世界も。

 この『名もなき王国』(倉数 茂/ポプラ社)は、まさにそんな作品だ。

 本作を担当した編集者は、現在Web上で公開されている書簡の中でこう語っている。

一度読んだだけではすべてが理解できなかったとしても、むさぼるように読んでしまう物語、
難解な言葉や思想の美しさにただただ酔いしれる物語、
一言では表せられないような複雑な感情を突き付けてくる物語。
そういう物語との出会いで、知らない世界がどんどん開かれていくような経験は、何物にも代えがたいのではないかと。
10行でもいいから読んでほしい!『名もなき王国』480ページ全文無料公開の理由(さやみど通信)より】

 私たちは毎日、あらゆるメディアから様々なニュースを浴びている。社会が虚偽や欺瞞まみれであることや、大自然の猛威が日常を無慈悲に破壊する現実を嫌というほど見せつけられている。

 そのせいだろうか。いつの頃からか「フィクションよりノンフィクションの方が驚異的だ」や「創作は現実を越えられない」との声が大きくなりはじめた。だが、本書を読めばそうとばかりも言えないと気づくはずだ。

 この物語は、とても不思議な構造を持つ。

 大きく7つに分かれたパートの冒頭「序」で、この一冊が奇妙な作品集として編まれていることが語られる。掲載作の作者は中年の小説家である「私」と、「私」の友人にして駆け出し作家の澤田瞬、そして伝説的幻想文学作家・沢渡晶の3人。だが、アンソロジーでも競作集でもない。「物語という病に憑かれた」彼らが各々紡ぎ出した小説を集めたものだ。そのため、私小説的作品あり、SF短篇あり、正統派の幻想小説ありと、多様な形式で書かれた小説が入り乱れている。

 わかりやすく喩えるならデパートだろうか。フロアーごとに売り物も売り子も売り場の雰囲気も違う。だが、すべての階はエレベーターなどで繋がり、ところどころに共通するエンブレムやロゴマークを配置することで、一つの大店舗として成り立っている。同じように、本書でも、それぞれ孤立しているはずの各章に、共通するモチーフや形象がたびたび現れる。そして、それらはいつしか読み手を物語の深淵に引きずり込んでいくのだ。

 物語世界をメタ・レベルで統括する立場である「私」は、現実の著者である倉数茂本人を彷彿させるプロフィールを持つ。そして、ところどころ現実にあったと思しきエピソードが挟み込まれる。

 完全なフィクション、「物語世界の現実」を叙する小説、そして現実世界から紛れ込んだらしき挿話。レベルの異なる世界が並列する重層的な構造の中、個別の階層にあるはずの物語はしばしば別の章から、時には本の外側からさえ干渉を受け、変化していく。

 そうしているうちに失われていく現実と虚構のボーダーライン。物語の迷宮をさまよっているうち、読み手は崩れ混ざり合っていく世界の終焉を目撃することになる。こんなに奇妙な読書体験をできる作品は、そうあったものではない。小説だけが持つ圧倒的な力を体感してみたい、あるいはもう一度思い出してみたい。あなたがそんな望みを持つなら、この『名もなき王国』は喜んで迎え入れくれるだろう。

文=門賀美央子