ダムの工事現場で発見された“縄文人男性”と”弥生人女性”の人骨――時代のうねりに翻弄された恋愛とは?【第5回山田風太郎賞受賞作】

文芸・カルチャー

2018/10/28

『二千七百の夏と冬(上・下巻)』(荻原浩/双葉社)

 今年の夏は「縄文」が熱かった。きっかけとなったのは東京国立博物館で開催された特別展「縄文―1万年の美の鼓動」だ。縄文のビーナスや火焔型土器など国宝6点が集結とあって多くの人が来場。縄文美術にスポットをあてた内容だけに、あらためて多くの人が縄文人のユニークなセンスに驚かされた。

 ところで現代人には美的センスが光って見える遺物も、当時の彼らにしてみればあくまで「暮らしの道具」。当然、ひとつひとつから彼らの生活がしのばれるが、それでも「狩猟採集社会/集団生活/アニミズム/獣の革の服」といったお決まりのイメージばかりで、なかなか彼らの「人生」に思いをはせるまではいたらない。当たり前のことだが、縄文人も我々と同じ人間だ。同じように泣いて、笑って、恋をして生きていたのだろう……そんな素朴な気づきに抜群のリアリティを与えてくれる興味深い小説がある。人気作家・荻原浩さんの第5回山田風太郎賞受賞作『二千七百の夏と冬(上・下巻)』(双葉社)だ。

 ダムの工事現場で縄文人男性の人骨が発掘されたことから始まる物語の舞台は、東日本大震災の記憶が常に影を落とす2011年と、縄文後期にあたる紀元前7世紀(この時期すでにコメ〈物語では「神の実・コーミー」〉は日本に伝わり、渡来系の人々を中心とした稲作集落が誕生していた)の東日本の内陸部。3千年近く前にこの地で生きた彼の人生に思いをはせる新聞記者の香椰に寄り添うように、縄文人の村・ピナイに住む15歳の少年ウルクの冒険が始まる。男たちの狩猟に使いっ走り的に加わりながら、早く一人前になりたいと願う思春期の少年は、ある日、病の弟のためにクムゥ(熊)の肝を得たいと禁忌の森に入り、不思議な少女・カヒィと出会う。禁を破ったために村を追われることになったウルクは、帰還の条件として、恵みをもたらすという「神の実・コーミー」を持ち帰らなければいけなくなる――。

 村と村に伝わることが全てだったウルクは世界の広さを知る。予期せぬ大自然の脅威は、もはや村の大人たちに習ったやり方では太刀打ちできず、自ら積み重ねた体験から必死に考えた「生きるための知恵」を駆使してウルクは前に進む。その冒険はワクワクの連続であり、どこか原始的な状態から人類が歩んできた道のりをリアルになぞる面白さもある。やがて金色のクムゥとの死闘の末に辿り着いた弥生系の村・フジミクニで、ウルクはコーミーがもたらす豊かな物質社会と、それがもたらす功罪に圧倒される。その衝撃は私たちに「国籍とは何か、日本人とは誰か」を問いかける。

 初めは縄文人についてぼんやりとしたイメージしかなかった2011年に生きる香椰だが、続いて発見された弥生人女性の人骨(先に発掘された縄文人男性と手を繋ぎ見つめ合うような格好だった)を見て、彼らの間にどんなドラマがあったのかと、ますますこの謎にのめりこんでいく。

 そして私たちも香椰を通して、遥か昔と思っていた縄文の世界が次第に鮮やかになり、少年ウルクと冒険を共にすることによって、彼らが私たちに繋がる存在だと実感するようになる。ウルクはフジミクニで少女・カヒィと再会し、種族や文化を超えて心を近づけていくが、そこにある「愛」の衝動は私たちと何ら変わらない。

 見回してみると、案外あなたの近所にも縄文遺跡があるかもしれない。そうした存在ひとつひとつにこんな人間ドラマが隠れているのかも……そんな新たな視点まで与えてくれる一大歴史ロマンなのだ。

文=荒井理恵