米国では無名なのに日本では(なぜか)有名!“二流小説家”デイヴィッド・ゴードンの『用心棒』、その中身は?

文芸・カルチャー

公開日:2018/12/16

『用心棒』(デイヴィッド・ゴードン:著、青木千鶴:訳/早川書房)

 デイヴィッド・ゴードンと言えば、『二流小説家』である。いや、当然ながらゴードンが二流の小説家だという意味ではなく、同タイトルの作品でデビューした作家、ということである。この『二流小説家』、2011年に「このミス!」及び文春と早川のミステリランキングで史上初の3冠を果たした作品として日本では大いに盛り上がったのだが、本国アメリカでの反響は至って静かなものだったらしい。

 で、そのギャップについて著者がNYタイムズに原稿を寄せている。コラムのタイトルは“Big in Japan”。読んで字の如く、自分の国では無名なのに日本では(なぜか)有名……というベンチャーズ的な局地的現象についての戸惑いを綴った内容である。本国では部屋に一人こもって小説書いて、ジョギングして、友達とメールするのを繰り返すだけの地味な生活なのに、日本に招ばれて来たら、いきなりのセレブ扱い。本国で自分が暮らすアパートメントより、日本で泊まったホテルの部屋の方が広かったとか、サイン会ではアシスタント2人がかりで、片方が本を広げりゃ、もう片方はサインの余分なインクを押さえていたとか、下から目線の自虐と諧謔の混じった文章でくすりと笑わせてくれる。

 にしても、このコラムの芸風と言うか作風と言うか、「二流作家が予想外の事態に巻き込まれて右往左往する」展開は、彼の小説そのものである。そもそも『二流小説家』の主人公、ゴーストライターで食いつなぐ売れない作家ってキャラクターに作者自身が濃厚に投影されているわけだから当たり前と言えば当たり前か。この作者自身が投影された負け犬感溢れる主人公が、自分の人生や作品についてああでもないこうでもないと悩み、悶々とするブンガク的な内省と言うか自分語りと小説論の部分が、『二流小説家』の良さでもあり、ミステリーとしてはどうなのと突っ込まれてしまうところでもあった。が、自分としてはグダグダと悩む煮え切らないダメ人間の主人公が好きだし、何よりも、(一応)ジャンル小説としてのミステリーが展開される中で、娯楽小説とは何たらとか、小説とは何ぞやみたいな問いかけがあることで、ジャンル小説に徹しきれない作者の含羞と言うか煩悶と言うか逡巡と言うか、そういう踏ん切りの悪さが感じられて、その青臭さがいいんじゃないかと思ったのである。早い話、エンタメに徹底できないモタついた青さに萌えたのだ。

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 で、ゴードン2作目の『ミステリガール』でも、似たような主人公が登場して、誰も読まない実験小説『会陰』(……。)を延々と書いてたりするわけなんだが、案の定、人生の決断を迫られるような事件に巻き込まれる。で、さんざんひどい目に遭った後、とどめのように自分の大事な実験小説をシュレッダーにかけられてしまうのだ。こんなクソつまらない小説、誰も読まねえよ! 的なことを言われて。

 その時、それまでグダグダ悩んでいた主人公は、突如として思う。

「それでも、この地球上に生を受けたからには、与えられた時間を埋めるために、ひとはかならず何かをしなけりゃならない。もしも運よく昼どきまで生きていられたなら、ぼくはこれから何をしようか(中略)。ぼくはもう一度はじめから『会陰』を書く」と。

 この雄々しいマニフェストの後、ゴードンは、実験小説と言うか純文学寄りの短編集『雪山の白い虎』を出した。個人的には出来は微妙……だと思う。何と言うか『会陰』的と言うか。で、その後に書かれたのが、この『用心棒』(早川書房)なのである。いやあ、この吹っ切れた感じは何なのだ? と思ってしまうほど、今回の主人公のジョー・ブロディーには、グダグダ悩む内省的な文学青年の陰はない。何といっても、ハーバード大学中退、元陸軍特殊部隊員って経歴で、むちゃくちゃ強いストリップクラブの用心棒である。仕事の待ち時間にドストエフスキーを読んでたりはするんだけれど、内省的ではなく基本的に拳で行動の男である。格闘場面とか、ジャック・リーチャーかよってぐらいに強い。泥酔した脳筋のアメフト選手なんか、蹴りと急所攻めで一撃必殺。

 ストーリーの展開も、武装強盗に始まってテロリストやFBI、CIA、各国のマフィアも絡んでの大活劇となっており、銃撃戦にカーチェイスと、王道中の王道の展開が息つく間もなく繰り広げられる。確実にジャンル小説の書き手として、ゴードンが上手くなったと感心させられる……のだが、あのグダグダしていた主人公とストーリー展開をピッチダウンさせる(いい意味で)無駄な文学論が消えてしまったのを見ると、何かこう一抹の寂しさを覚えないでもない。いわば何と言うか、久しぶりにお手合わせしたら、以前はぎこちなかった相手がいきなり無駄のない動きの技巧派に変わっていたみたいな感じでしょうか。いや、何を言っているのだ、自分。

 とにかく、デイヴィッド・ゴードンの『用心棒』は、最後の場面まで、無敵の男、ジョー・ブロディーの魅力が堪能できる犯罪小説である。そして、『二流小説家』ゴードンの新しい境地を知ることのできる作品としても興味深いってことでお茶を濁しておく。

文=ガンガーラ田津美