直木賞候補作『ふたご』作者・藤崎彩織の感性みなぎる書評×エッセイ

文芸・カルチャー

公開日:2019/1/13

『読書間奏文』(藤崎彩織/文藝春秋)

 呼吸をするように本を読んだ時間が、血となり肉となり、彼女の感性を支えているのだろう。『読書間奏文』(文藝春秋)は、大人気バンド「SEKAI NO OWARI」のメンバーSaoriこと藤崎彩織が、人生のターニングポイントを本とともに振り返る書評のようなエッセイ集。『文學界』の大人気連載に書き下ろしエッセイが加筆された作品だ。

 藤崎彩織といえば、「SEKAI NO OWARI」での活躍もさることながら、デビュー小説『ふたご』が、第158回直木賞候補作に選ばれたことが記憶に新しい。いつも一人ぼっちでピアノだけが友達だった夏子と、不良っぽく見えるけれども人一倍感受性の強い月島の青春小説は、多くの読者を確かな感動へと導いた。その語り口や言葉選びには、日々を悩み、葛藤する者たちへのあたたかさが感じられた。今回のエッセイ集では、そんな作品を生み出した藤崎の日常を垣間見られる。エッセイでも彼女のやさしい語り口は健在。すっと心に染み渡るような巧みな表現の数々に思わず癒されてしまう。

 一人ぼっちでいるのが惨めで逃げ込んだ図書館。泣いている姿を隠す壁に過ぎなかった本棚。「一人でいるなんて、どうってことない」と言える文学少女になりたくて、ぽつぽつと本のページをめくり出してからの日々。藤崎を支え続けてきたのは、間違いなく本だった。そんな本との暮らしを藤崎は綴っていく。といっても、藤崎は日常のエピソードを紹介しながら、思い出したように本の一節を紹介するのだ。読んだ本が彼女自身となっているのだろう。そんな彼女のエピソードを垣間見るにつれ、心にあたたかさが広がっていくのを感じる。

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 特にこの本では、女性ならは、一度は感じたことのある葛藤がたくさん描かれている。男性に囲まれた生活の中で、女というものから、逃げてきた日々のこと。妊娠してから感じた違和感と、膨らんでいくお腹に「無事であってほしい」と祈りを捧げた日々のこと。子供を産んでからの、働くことへの罪悪感…。このエッセイ集を読んだ者は、多くの人が言語化できなかったことを巧みに言語化してしまう彼女の才能に圧倒させられるだろう。

 たとえば、インタビュー記事で一人称が「あたし」という表記になっていたことに違和感を覚えたエピソードには思わずクスッと笑わされてしまった。

「あたし」という主語でバンドのストーリーを語るこの女の子は、「わたし」より性格が明るくて、たぶん「わたし」よりほんの少し日に焼けていて、「わたし」より体重が五キロくらいは重そうな感じがした。「わたし」よりよく笑い、「わたし」より面白いことをやって人を笑わすことも出来そうだ。たった一文字のことなのに、こんなにも「わたし」と「あたし」という人格が違うように見えることに驚いた。

 少しの違和感も見過ごさない。そんな彼女の感性が『ふたご』という作品を生み出すことにつながったに違いない。

 この本にはもちろん、彼女が所属するSEKAI NO OWARIに関する記述もある。だが、セカオワファンでないとしても、心に響くものがある。一歩一歩、つまずきながらも前に進んでいく、彼女の葛藤に共鳴する人はきっと少なくはないはずだ。

文=アサトーミナミ