「正しい大阪人」の姿って? 芸人顔負けのおばちゃん、熱狂的すぎる阪神ファン…これらは“つくられた”存在!?

暮らし

2019/1/22

『大阪的』(井上章一/幻冬舎)

 西の中心地でありながら、それほど良い印象を持たれていない大阪。科学が進歩を極める現代においても、関西圏以外の一部の人々は、大阪人が「○○やんけワレェ」「~おまへんやろ?」のような、それほど一般的ではない大阪弁を話すと考えている。この地に住む全員が“しゃべりの達人”で、ケチ(もしくは値切りが上手い)で、タコ焼きに目がなくて…いかにも“大阪的”な像を抱く。だからこそ問いたい。

 大阪は、ほんとうに“大阪的”か?

『大阪的』(井上章一/幻冬舎)は、日本人が勝手にイメージするステレオタイプ化された“大阪的”人物像のあやまちを正そうという書籍だ。著者は、2015年に『京都ぎらい』がベストセラーになり、大きな話題を呼んだ井上章一氏。本書は、正しい大阪人の姿を赤裸々に解説する。その一部をほんの少しだけご紹介したい。

■大阪のおばちゃんは“つくられた”存在だった?

 まず分かりやすいところから取り上げたい。大阪のおばちゃんだ。

 元気ハツラツで、トラ柄の服を着ていて、人の話を聞かずマシンガントークを撃ちまくり、ふと息をつくと「アメちゃんいる?」と口に押しつけ…。そんなおばちゃんたちが今日も大阪の街を闊歩する。

 こんな大阪的なイメージを抱く人が大半だろうが、実は井上氏によると、彼女たちは“つくられた”存在なのだそうだ。しかも、地元在阪局のテレビ番組によって。

 ご存じの通り、テレビ番組の制作費用は東京が圧倒的な額を持つ。在阪局の制作費用も地方局と比べるとある方だが、やはりキー局と比べると一桁寂しい。それでも東京の番組に負けないものを作るため考え出されたのが、“素人”だった。

 1983年から10年間にわたって放送された『まいどワイド30分』という大阪限定ニュースワイドショー。そこに映し出されたのは、制作陣が「面白い!」と判断した、商店街で食材を求める選りすぐりの主婦たち。連日放送される彼女たちの勢いある姿に、視聴者たちは釘付けになった。

 テレビの影響力は絶大で、“大阪的おばちゃん”のイメージが形成されたばかりか、それに影響された大阪のおばちゃんたちさえも、“大阪的”に“寄ってしまった”のではないか? 井上氏は言葉を選びながら本書で慎重に考察する。

 しかし本来、“上方の女”とは控えめで品のある女性だ。それを井上氏が本書でていねいに解説しているのだが…この原稿を書く関西出身の私は思う。「きっと“大阪的”を好む関西圏以外の人々はそれほど聞きたい話ではないのではないか?」。

 今日も“大阪的なおばちゃん”は元気に街を賑わしている。そのイメージは“つくられた”ものだろうし、関西圏以外の人々の願望も少しだけ入っているような気がする。

■著者が本書で最も言いたい“大阪らしくない”歴史と文化

 井上氏が本書につめこんだ思いは強く、全国で散見される“大阪的”なイメージを覆そうと様々な分野について言及している。

 たとえば、大阪の超人気プロ野球球団「阪神タイガース」。今でこそシーズン中は毎試合4万人のファンが甲子園球場に足を運ぶが、実はこれ、小さなテレビ局「サンテレビ」のおかげだった。その昔、驚くべきことに大阪では、というより、全国の野球ファンはみんな「読売ジャイアンツ」を応援していた。大阪人も“ジャイアンツファン”が大半を占めていたのだ。当然甲子園は閑古鳥が鳴く。しかしサンテレビが行った“あること”をきっかけに、ジャイアンツ人気の牙城にヒビが入る。

 また、一部の人々は大阪のことを“エロい街”と考えるのだそうだ。なぜこのような印象を抱かれてしまったのだろう。本書をひもとくと、確かに大阪が作り上げた“エロ産業”が関係していたのだが、それを最も利用したのは“東京の男”だったらしい。東京の男たちが行った“なすりつけ”のような罪深き行為が本書には克明に記されている。

 そして最後に、井上氏が本書で最も言いたいことをこの記事でも触れておかなければならない。ほとんどの人が存じないだろうが、1930年代、大阪は東京と互角の経済力を有していた。それを表すかのように有名な大企業の多くが大阪に本社を置いていた。そのため大阪がどんどん工業化し、全国から労働者が集まった。結果、生活するには環境の良くない土地になってしまう。

 そこで起きたのが、阪神間の山すそへ本宅を移すことだ。その結果、阪神間の一部の地域の“ブルジョア化”が起こる。美人な女性が多く集まるようになり、“音楽の都”と表現しても過言ではないほどクラシック音楽が盛んになるのだ。なにより、この阪神間に住む人々の言葉が、大阪弁と標準語を交えたような、独特の言葉になった。京都弁よりも上品だったかもしれない。

 しかし今のメディアは、安易に目を引く“大阪的”に釣られ、この大阪らしくない歴史や文化を取り上げようとしない。井上氏は本書で嘆いている。

ひやかすような物言いは、ひかえてほしい。そこをあおって、一面的な大阪人像をおしつけることも、やめてもらいたいのである。

 かつて大阪は重要な商業地となり、今でも日本経済を動かす大都市だ。現在の日本は、大阪なくして成り立たない。しかしメディアが大阪を扱うときは、たいてい彼らの滑稽な姿を“切り取って”面白おかしく紹介する。それもいいのだが、大阪には“大阪らしくない”華のある歴史と文化が眠っていることも知ってほしい。知ろうとしてほしい。

 大阪は、日本人のためにピエロを演じているのではないか。本書を読むとそう感じる。それでも全国に広がるあやまりを許しているのだから、懐が深い。大阪は“大阪的”ではないとしても、とても魅力のある街なのだ。

文=いのうえゆきひろ