尊敬してないから「敬語は不要」ってアリ? 話し言葉の魅力を最大限上げるには

ビジネス

2019/1/23

『伝達の整理学』(外山滋比古/筑摩書房)

 日本の教育は、長らく“読み書き”が中心であり、“話し聞く”ことがおろそかになってきた――『伝達の整理学』(筑摩書房)の著者・外山滋比古氏は、冒頭でそう指摘する。

 たしかに、自分が受けてきた教育を振り返ってみると、文章で書かれたものを理解し、単語や公式を暗記し、それをテスト用紙の上で再現することが大部分を占めている。明確に“話し聞く”鍛錬を行っていたのは、大学のゼミでディベートや研究発表をしていたときくらいだろうか。人工知能が私たちの生活を脅かしているとされる今、著者は、私たちに“話し聞く”言葉(耳コトバ)の重要性を語り掛ける。

■ひとりだけではアイデアが浮かばない――三人寄れば文殊の知恵

 アメリカのことわざに“ひとつでは多すぎる(One is too many)”というものがあるそうだ。これは、大事なものはひとつではいけないという意味で、恋愛での状況を表している。ひとりしか相手がいないと他が見えなくなってしまう、というたとえだ。

 著者は、それが“ものを考える”ことにも通ずると述べる。通常、日本人は、ひとりで思索にふけることが美徳とされている。だが、複数人、できればタイプの違う3人で話し合うと、よりおもしろいこと、新しいことが生まれやすい。筆者も、カフェや居酒屋で友人たちと話し込んでいて、ふとした瞬間に化学反応が起き、思いがけない気づきが生まれる体験をすることがよくある。まさに、これは“三人寄れば文殊の知恵”の実体験版だろう。

■敬語は誰のもの? 尊敬していないなら敬語は不要?

 たびたび「敬語は不要だ」という議論が起こる。たとえば、「私はあの人を尊敬していないので、敬語は使わない」などという意見だ。そのような際の論拠として、「外国語には敬語はない」ということがあげられる。たとえば英語には、“日本語の敬語”に相当する言葉はないが、教養ある人間が使う言葉づかいというのは存在していて、それは紳士淑女のたしなみになっているから、この主張は的外れだ。

 著者は、敬語を“自分のためのもの”だと語る。生の日本語(たとえば、「お前、行くか?」)をぶつけるよりも、敬語でそれを包んであげる(「行きますか?」「おいでくださいますか?」)ほうが、言葉に温かみが生まれるだろう。私たちは、自分の言葉を“相手に受けいれてもらうために”こうして敬語を使っているのだ。すなわち、敬語は、情報伝達の効率を上げる重要なレトリックだといえよう。

 自分の考えをどう相手に伝えるか――。本書は、昔話に始まり、座談会文化、話体、敬語、あいまいさ、メディアの変遷などの多岐にわたる視点から“話し聞く”言葉の重要性とその使い方を語る。読者は、“知の巨人”と呼ばれる外山滋比古氏の教養の深さ、広さに圧倒されながら、自分の中の“言葉”の認識が新たなものに変わるのを実感するはずだ。

文=中川 凌