「ぼくたちは、殺した命に責任がある」――ジビエを通じて描かれる、人間の営みと大人の成長物語『みかんとひよどり』

文芸・カルチャー

公開日:2019/3/1

『みかんとひよどり』(近藤史恵/KADOKAWA)

 昨日の夕飯に、なにを食べたか思い出してみてほしい。肉だろうか? 魚、それとも野菜? パンや米飯だけ? おそらくほとんどの人が、なんらかの形で動植物を口にしたことだろう。よっぽどケミカルなものしか口にしていないという人以外、あなたは昨夜、生きものを殺したのだ。あなたが食べるために──今日を、生きるために。

 そんなことを実感しやすいのも、ジビエの味わいのひとつだと言える。『みかんとひよどり』(近藤史恵/KADOKAWA)の主人公・潮田も、その味わい深さに魅入られた人間のひとりだ。

 潮田が料理の道を志したきっかけは、祖母に連れられて行ったフレンチレストランで、あまりのおいしさに感動したことだった。だが潮田は、渡仏して、料理学校などで優秀な成績を修めたにもかかわらず、帰国してからは店を3軒も潰している。祖母こそ健在だが、両親はすでに亡く、35歳にして妻も子供も、恋人もいない。相棒と言えるのは、猟犬として育てようともらい受けたイングリッシュポインターのピリカだけだ。

advertisement

 なにもかもうまくいかない負の連鎖の中、潮田はジビエ好きのオーナーに見込まれて、フレンチレストランのシェフとして働きはじめる。が、その店の経営状態も、決して芳しくはなかった。修業時代の学費すら返せていないのに、クビになってどうするのだ。そこで潮田は、理想のジビエを探し求めていたこともあり、食材にかかるコストを減らし、店で出せる食材の幅を広げようと、休日返上で猟に出る。そのせいで、山で遭難しかかってしまったのだ。

 そんな潮田を遭難の危機から救ってくれたのが、身長190センチ近く、血と獣の匂いのする愛想なしのハンター・大高だった。彼の家にひと晩泊めてもらうことになった潮田は、美しい獣を手際よく解体し、肉にしていく大高に魅せられる。大高の獲るジビエは、料理人としての情熱とイマジネーションをかき立てた。潮田はレストランの再起をかけて、仕留めた獲物を自分の職場に納品してくれないかと大高に持ちかける。だが彼は、山奥で自給自足に近い生活を送る“現代の世捨て人”。案の定、潮田との契約は、「面倒くせえ」とすげなく断られてしまい……。

「なにかを手に入れるためには、なにかを手放さなければならない」。大高の暮らしぶりを見た潮田の言葉だ。それはなにも、山里で狩猟生活を送る場合に限ったことではない。そもそも生きるためには、ほかのなにかを殺さねばならないのだ。夢を追えば、現実がおろそかになるだろう。仕事と家庭、余暇と成果、恋愛と友情、金と時間。人はみな、選択を積み重ね、その結果を糧として生きている。

そう、殺し、食べるのは生き延びるためだ。ぼくたちは、殺した命に責任がある。彼らを殺してまで生きようとしたのだから、なんとしても生き延びるべきだ。

 料理人と猟師の個性際立つキャラクター、おいしそうな料理の描写はもちろん、命を食らうことの力強さや、害獣駆除の現実まで、幅広い味わいどころを盛り合わせた本作。噛めば噛むほどに深く、あなたの心に滋味ある栄養を行き渡らせてくれるだろう。

文=三田ゆき