過酷な介護業界で、離職率7%・残業月7時間を叩き出した“経営イノベーション”とは?

ビジネス

公開日:2019/3/12

『介護経営イノベーション』(森一成、渡邊佑/総合法令出版)

「超高齢社会」到来の余波は、すでに労働の現場で起きている。人手不足だ。賃金を高く設定しても働き手の応募が来ず、働いてもすぐ辞めてしまう…。コンビニや居酒屋など、人手不足で疲弊する業界が増え始めた。

「きつい」「汚い」「給料が安い」――悪い「3K」がそろうと評判の介護業界はさらにひどく、絶望的な未来が待ち受ける。経済産業省が2018年に公表した試算によれば、介護に携わる人材の不足数は、2015年時点で約4万人だった。それがなんと2035年には約80万人が不足するという。なんてこった。私たちの親だけでなく、私たち自身さえ、誰にも看てもらえないのかもしれない…。

 介護業界にどのようなイメージを持っているだろうか。明るい印象だけを持っている人は少ないだろう。人手不足な上に、経営危機や職員同士のトラブルなど、悪い噂を耳にしたこともあるだろう。来ては辞め、辞めても来ず。病床の回転率も悪い。経営者たちはみんな頭を抱えている。

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 ところが、東京都町田市にある社会福祉法人「合掌苑」は違った。介護業界の中で離職率がひときわ低く、目標を持って働く職員が数多く在籍するという。経営も順調だそうだ。なぜ介護業界でこのような結果を生み出せたのか。『介護経営イノベーション』(森一成、渡邊佑/総合法令出版)にはその理由が紹介されている。介護だけではなく、どの業界でも活用できるノウハウだ。本書をちょっとだけのぞいてみよう。

■従業員がいきいきと働く手法「アメーバ経営」と「コーチング」

 本書は同施設の理事長である森一成氏と、コンサルタントでコーチングのスペシャリスト・渡邊佑氏が共著者となり、従業員がいきいきと働くノウハウを紹介する。

 なぜ「合掌苑」が、悲鳴を上げる介護業界の中で経営に成功したのか。その理由はズバリ「アメーバ経営」と「コーチング」だ。

 まずアメーバ経営とは、組織をアメーバと呼ぶ小集団に分けて、アメーバごとに「時間当たり採算=(売上-経費)÷労働時間」を算出し、「従業員時間当たり」の採算と生産性の最大化を図る手法。頭の中に「???」が踊った人もいるだろうが、京セラ、KDDI、JALなどで用いられたすごい経営手法なのだ。

 アメーバ経営にして何が良くなるのかというと、従業員みんなが経営目線で仕事するようになる。普通の企業には、何も考えずに備品をムダ遣いしたり、バレないように経費で勝手に飲み食いしたり、経営を考えない従業員が見られることもある。けれどもアメーバ経営ならば、先ほどの算出によって自身の労働成果が数字で見える。個人それぞれが経営と向き合うことになるのだ。

 次にコーチングとは、対話によるコミュニケーションを重ねることでクライアント(=この場合は従業員)の目標達成に必要な考え方や視点などへの「気づき」を促し、自分で考えさせ、自発的な行動の手助けをすること。

 やはり頭の中に「???」が踊った人がいるだろう。コーチングは奥が深いので詳細は本書に委ねたい。とにかくこれを導入すると、従業員が会社と自分の仕事に誇りを持ち、自分自身を肯定しながら、顧客満足を第一に考えて業務に取り組むようになる。

 この2つの手法を取り入れた合掌苑は、離職率がひときわ低く、優良な介護士が働く評判の介護施設になった。

■未来の常識は今の非常識

「アメーバ経営」と「コーチング」を導入すると、従業員がいきいきと現場で働くようになる。しかしこれは経営手法の話だ。これだけではまだ足りないピースがある。

 本書を読み進めて強く感じたのは、彼らと一緒に働く経営者自身も変わること。おそらくこれが最も大切である。ここに人材不足や経営危機を回避する秘訣があるのではないか。

 かつて日本製品が世界を席巻した高度経済成長期。この時代は、モノを作れば作るほど売れた。働けば働くほど、結果が出た。だから長期労働が当たり前になり、景気が良いので待遇もほどほどに釣り合っていた。しかしこれは人口が増え続ける当時だからできたことだ。

 今は違う。人口が先細り、需要が小さくなる中で、いかに売上を最大化して経費を最小に抑えるか。そのためには従業員の生産性の向上が不可欠。だからといってノルマを課したり、パワハラで働くように脅したりすると、「来ては辞め、辞めても来ず」という経営危機に陥る。旧態依然の経営手法で結果が出ないならば、経営者自身がマインドを変えなければならない。

 森理事長は本書でこのように語っている。

利益は何に使われるかが重要であり、そこにこそ組織の存在意義があり、従業員が働く意味があると考えます。
利益は従業員を大切にして育て、そして入居者に安心して過ごしていただくために必要なのであって、利益のために組織があるわけではないのです。

 合掌苑の離職率がひときわ低い理由の1つに、シングルマザーの積極採用があり、本書では他の介護業界にない破格の待遇が記されている。これが最後のピースだ。

 経営者は組織の利益の追求とともに、従業員を大切に育てるために利益を活用しなければならない。おそらくこの考え方が、介護業界だけでなくあらゆる業界の経営者に足りていないのではないか。

 日本はこれから未曽有の人材不足に襲われる。世界中がまだ見たことのない恐ろしい未来を私たちは歩んでいる。もし解決方法があるとするならば、その1つが本書に記されていることかもしれない。

未来の常識は今の非常識

 森理事長の言葉が力強く光る。本書をすべての経営者に読んでほしいと願う。

文=いのうえゆきひろ